昨夜は市原佐都子『弱法師 Yoroboshi: The Weakling』をフランクフルト劇場で。

義太夫節をドイツ語で表現するとこんな感じなんだ!という新鮮さもありつつ、日本語字幕と英語字幕の差も(余裕があるときは)興味深く見つつ、

いやでもとにかく語られる内容が深すぎて、これはちょっと時間をかけて追記していきたい作品でした。戯曲がほしい…。「悲劇喜劇」とかに掲載されないかな…。

こう、自分が人形であると理解している人形と、人間だと思ってる人形と、人間だと思ってるけど「自分は所詮人形だ」と自分を押し殺す人形と…と、人間と人形の境がクルクル入れ替わり

それはそのまま「身体のモノ化、異物化」(劇中「ただ人形がぶら下がってるだけ」という言葉が、目撃しているこちら側の心理を和らげる効果を目の当たりにし、731部隊の実験台になった捕虜を「丸太」と呼んでいたことを思い出した)

や、

例えば小泉明郎『縛られたプロメテウス』などで感じた「身体とテクノロジーの融合と拡張」(あと片山真理さんの作品も思い出した)、

シュウ・ツェユー『The Zoo Hypothesis』で感じた「死体と生体の境目」といった本演劇祭で目にしてきた作品ともリンクしながら、

強烈なビジュアルと、原サチコさんによるドイツ語義太夫、西原鶴真さんによる薩摩琵琶、ノイズ、電子音楽などが組み合わさって、

その圧倒的な洪水に飲まれた中盤、ちょっと鳥肌が立ってしまった。

そして最後の「生きてるよ」は、つくり手の優しさだと思ったなあ。自分の周囲には、(自分も含めて)あの一言でホッとした雰囲気があったような。

あとやっぱり人形って、人形劇の世界でも遣い手の方が「人形に命を吹き込む」と言ったりするし、魂入れや魂抜きの儀式もあるくらいだけど、本作でもびっくりする場所に魂が宿ってですね、あれは結構ぶちかまし感がありました。

終演後は半ば呆然として拍手する感じで、いやあ…何度も通った劇場からの帰り道を間違って、気付いたら全然違う道を歩いていたくらいには衝撃を受けた次第。

な ん た る 怪 作 !!!!!!!

『弱法師』は9月に高知県立美術館や豊岡演劇祭でも上演されるので、札幌からも観に行く人がいるのかな?この呆然とする感じを共有したい…!

※フランクフルト滞在のブログはこちらにまとまってます。

(編)

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