引き続き、見たもの。

土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』@シアターキノ

1969年、チッソを相手に裁判を起こした29世帯を中心に、潜在患者の発掘の過程を追ったドキュメンタリーです。

永野三智『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』で書かれていた、患者さんの子どもの頃の思い出(海と美味しい魚介類で満ちた暮らし)を、リアルに記録映像として観ることができて、とても良かった。

同時に、そんな愛おしい営みを汚染してしまった無味無臭の有機水銀と、それを垂れ流し続けたチッソと国の非道さを痛感。

ドキュメンタリーの最後は、1970年11月大阪厚生年金会館で行われたチッソ株主総会の場面。

白装束の患者さん(一次訴訟原告家族)が、交渉を拒みつづけたチッソ社長に直接会うため一株株主として参加した、この総会で、社長が発した「患者さんは本当に気の毒だったと存じます」の凄まじい軽さ…。

総会は荒れに荒れ、社長に詰め寄った原告家族の悲痛な叫びを観客は聞くのですが、あの場面は逆に、どうやっても変えようがない「立場」という現実の冷酷さも内包していて、しんどくなりました…。『苦海浄土』も読まなければ。

もう一つ、ドキュメンタリーから。

山形国際ドキュメンタリー映画祭の受賞作品上映で、大賞受賞の香港ドキュメンタリー映画工作者『理大囲城

今年5月に中国の習近平指導部の主導で香港に導入された「愛国者」以外を排除する新選挙制度のことと、先日、香港民主派の最大政党、民主党が12月の立法会(議会)選挙に候補者を擁立しないことが決まったというニュースを読んでいたので、

本作中で「立法会で会おう!」と学生たちが言うたび、複雑な思いに。あとやっぱり籠城する若者を押しつぶそうとする国家権力という図式に、韓国の光州事件や、『ディディの傘』で知った延世大学事件のことなども頭によぎって、「なぜ安全なところにいてくれないんだ」という思いも。

でも、その後で見た監督(匿名グループ)との質疑応答で、

60年代の学生運動含め現在に至るまで、同じような状況を経験した人たちが世界中にいて、(こういった状況が初めてだった香港人からはデモについて非難する声も挙がったのだけど、)逆に、過去に違う国で同じような状況を体験してきた人たちからは理解(国家が相手でも抵抗せざるを得ない衝動や、それに伴う葛藤などに対して)の声が寄せられたことに感動している、という言葉が語られ、ハッとした次第。

私は「なぜ安全なところにいてくれないんだ」と思ってしまうけれど、世界には、国家が相手でも抵抗せざるを得ない衝動や、それに伴う葛藤を経験してきた人たちが無数といて、そういう人たちはこの学生がとった行動を「理解できる」のだ。

先に書いたニュースのことなど、歴史的な結果を見ていけば無力感に苛まれるけれど、そういうことだけに留まらない人間としての意義というか、何か大きなものに触れた気がしました。

まだ言葉にはできないのだけど。

(編)

 

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