PLAZA FESTIVAL 2021最終日の、自分的お目当だった札幌爆音映画祭

爆音上映といえば、爆音北海道初上陸となった新千歳空港国際アニメーション映画祭(2014年)の『ファンタスティック・プラネット』と『AKIRA』の爆音上映で「ぬおおおお」となり、(当時のブログはこちら

2015年の札幌初開催時も3作品コンプリート。(当時のブログはこちら

※このときの上映はWEBサイト『ジユウダイ!』でも紹介していて、

実際に体験してみて思ったのですが、映像の中に混在している音に濃淡を与えてより立体的に響かせることで、スクリーンという平面で流れる映像に奥行きを出す作業が「爆音上映」の魅力なのではないかと。と言っても、言葉ではうまく伝わらないので、聴覚への刺激がいかに視覚をも変えていくか、ぜひ劇場で体感してください!

と紹介記事をまとめているのですが、確かにそうかも〜。

2016年には音響調整の場にもお邪魔させていただき。(そのときのブログはこちら

※ちなみに私、『AKIRA』も初めて見たのが爆音上映という贅沢な体験をしましたが、『悪魔のいけにえ』も爆音で見たのが初鑑賞でした。むちゃくちゃゴージャスなチェーンソーの音を堪能しました。

以来の爆音映画鑑賞であります。5年ぶり!

ということで見たのは、富田克也監督『典座 -TENZO-』。前置き長くなりました。

青山俊董老師の言葉は「一言も聞きもらしたくない!」と感じるもので、食い入るように耳を傾けつつ。

(ちなみにアフタートークで、企画制作の小野さんが「青山老師が出てくると画が一気に引き締まりますよね」というようなことを言っていて、そうか、ああいう状態を「画が引き締まる」と表現するのか!と映画的語彙を得た気分でした。)

富田監督が「一人のお坊さんが成長していく姿」みたいなことも話していて、確かに終盤のいのちの電話相談で、お坊さんから実感を持った「地べたの言葉」のようなものが出てきていて、

同時に、本当は話を聴く側のお坊さん(隆行氏)が「すいません、なんだか自分の悩み相談のようになってしまって」と言って、いのちの電話を切った後、一人泣くシーンがあり。

やっと彼も、自分の中の悲しみに目を向けて、泣くことを許してあげられたのだなあ、と勝手に思いを馳せたのでした。「成長」という言葉とはちょっと違うかもだけど、あそこが一番グッときました。

そして本作を観る前から、爆音上映でかかるなら絶対般若心経の宇宙的悟りの世界観をぐいぐいっと感じられるシーンがあるはず!と期待して行った身として、

「キターーーーーーーーーーーー!!!!!」と悶えるシーンがあったことを書いておきます。音と画の素晴らしい迫り具合…!最高だった…。

ちなみに智賢氏が上海へ行った後「異国情緒」という言葉を出してくるのだけど、「異国だからこそ感じられる」という感覚は、つまり一期一会ってことだよなー、と。

自分の日常において、毎日目にして慣れてしまうようなものに対しても、異国へ行ったときのようなまっさらな感覚で、その都度知覚することができたなら。

(とは言え、脳みその機能的にもそれは難しいから、まっさらな知覚に近い視点を得るためのツールとしてアートがあったりするのでしょうけど。)

知覚レベルを上げる手段として、自然の多いところへ行って裸足で歩く、みたいなことが話されていたと私は思っていて、そこも興味深い点でした。お山暮らしの自分にとって、お山は毎日目にしても決して慣れない、見るたびに新しく感じるものだから。

仏教じゃないけど、ホントいつか神子修行道場に参加したい…。

なんだか徒然としてきたので、この辺で。

アフタートークもめっちゃ面白かったです。爆音映画鑑賞もそうだけど、悶えるような面白さって、家の「外」にあるもんだな。と改めて。

あと、演劇とかだと「再演」という手段によって同じ作品が新たな息吹を与えられ、何度でも違う見え方ができてしまうのだけど、

この爆音上映も、あと小野さんが企画制作している「映画へと導く映画」とかも、作品に新たな息吹を与えて新しい見え方へとつなげていくもので、

映画と演劇と、作品が何度でも新たな魅力を持って観客の前に立ち上がる、というのは同じで、かつ、それは作品にとっても観客にとっても、とても幸せなことなのだと思いました。

また爆音上映、見に行きたいな。

(編)

 

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