クリエイティブスタジオ シネマシリーズ8「映画へと導く映画〈横浜聡子監督〉」へ。

ゲストは横浜聡子監督で、上映作品の1本目はロベルト・ロッセリーニ監督『ドイツ零年』。

第二次世界大戦で敗戦した2年後のベルリンで撮影されたという本作。街は廃墟だらけで、主人公一家は役所から割り振られた家に間借りしており(その家には彼らを含めて4家族が間借りしており、計5家族が暮らしている)、食事は配給。

日本の敗戦直後のことを考えると当然なのだけど、ドイツにもそういう暮らしが当たり前に存在していたんだよなー、と。

主人公のエドモンドは12歳。父は病気で伏せており、姉は夜キャバレーに出かけては、アメリカ人やフランス人男性からもらったタバコを売って小銭を稼いでいる。兄は元ナチス党員であることが発覚することを恐れて家に引きこもっている。

という中で、必然的にエドモンドも稼ぎ手にならざるを得ないのだけど、いかんせん12歳の少年がお金を得るには社会状況が過酷すぎ、大人に騙されたり、再会した小学校の担任にすらいいように使われたりして厳しい…。

エドモンドは家族の窮状をこの教師に相談するのだけど、そこで自然の摂理としての弱肉強食を説かれるのですね。

結果として彼は父親を毒殺してしまうのだけど、多分あれ、感化とかそういうことではなくて、いかにも子どもらしい出来心というか、本当に何も深く考えずに(考えられないのが12歳にとって当然なのだけど)毒を飲ませてしまったんじゃないかなあ。

大人ですら「こうしたら、こうなる」の「こうなる」の部分を前もってリアルに考えられないことはよくあるのに、ましてや12歳がそこを一人で導き出すなんて無理すぎる。

敗戦直後という大人ですら生き残ることが難しい状況の中で、12歳の子どもが子どもでいることを許されず、熟考する術も持たず、出来心のままに父や自分をも殺してしまう…という、とんでもなく重い話だったのでした。

しかしまだ1本目!70分弱の映画でこのパンチ力!

とりあえず次に備えてコーヒーとチョコレートを買い、ベンチでもぐもぐ食べてからいざ2本目。

は、羽仁進監督『彼女と彼』。

1963年作で、当時の団地生活の様子(ゴミの出し方とか)が新鮮だったな〜。

MOVIE WALKERの紹介ページから、以下あらすじを引用。

広大な団地アパートのある東京の郊外。石川直子、英一夫婦はこのアパートに住んでいる。ある朝直子はバタヤ集落の燃えている音で目がさめた。白い西洋菓子のようなコンクリートの城壁に住む団地族、それと対照的にあるうすぎたないバタヤ集落。直子はブリキと古木材の焼跡で無心に土を掘り返す盲目の少女をみつけた。その少女は、夫の英一の大学時代の友人でこのバタヤ集落に住む伊古奈と呼ばれる男が連れている少女であった。犬のクマと少女をつれていつも歩いている男。服装はみすぼらしいが眼は美しく澄んでいた。長い金網のサクで境界線を作った団地とバタヤ集落とは別世界の様な二つの世界であった。夫を送り出したあとコンクリートの部屋で弧独の時間を送る直子に、眼下に見えるバタヤ集落の様子は、特に伊古奈という男は意識の底に残った。直子は夫を愛するように全ての人間を愛する事に喜びを感じていた。だから伊古奈にも、盲目の少女にも、クリーニング屋の小僧にも同じように善意をほどこした。直子の世話でバタヤから転業させようとした伊古奈は、社会から拘束されない今の自由さから離れられず、あいかわらず犬と少女を連れて楽しそうに歩いていた。そんな伊吉奈をみる直子の心は、単調な、コンクリートの中で他人の目を気にする自分達夫婦の生活に深い疑問をもち、夫との間に次第に距離を感じてゆくのだった。

全く前情報なしに本作を観たので、上のあらすじの後半とか、自分の受け止めと違って興味深いのですが。

劇中、団地の人の井戸端会議的な会話の中で、直子が(子どもの頃)満州から引き揚げてきてずいぶん苦労したということが語られており、直子がいろんな人、ことに首を突っ込んでしまうのって、自分には大陸的な人との関わりっぽく見えたのでした。

本土と引揚者の間にある(勝手に本土側の人が抱いていた)優劣みたいなものを直子もきっと感じたことがあるだろうと考えると、本質的に団地に住む人たちのようにもなりきれない、かといってバタヤ集落の人たちからは「団地側の人」と思われていてそちら側にも行けない、中途半端な不安定さを直子は感じていたのではないかなあ。

自分を団地側の生活に結びつけるのは夫の存在だけなのに、一見優しい夫は直子を見ているようで見ていないし、話も聞いてあげないしな。

というようなことを二つの作品から思ったけれど、最後の監督トークでは「こういうところに面白さを感じたり衝撃を受けたりするのかー!」と思う視点が満載で、面白さが倍増でした。

13時スタート18時40分終わりのイベントがあっという間だった…。

ちなみに『彼女と彼』には団地の子どもたちが伊古奈への差別意識から彼の犬を殺してしまうシーンがあり、『ドイツ零年』でも思ったことですが、子どもが残酷になるのは彼らが目にする大人のせいだとしみじみ。

自分は人間の暴力が人間に向かう描写は平気なのだけど、それが動物に向かう描写は本当に無理なので、あのシーンは堪えました…。

ということで、5回目から見ている「映画へと導く映画」の8回目も大満足。上映作品もゲスト監督も知らず、な(自分のような)人でも未知の映画の面白さを体感できるイベントなので、まだ行ったことのない人はぜひ次回開催時に足を運んでみてください〜。

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(編)

 

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