久しぶりに配信で映画を見ました。(と言っても、映画館でも全然見れてない…)

まずはTLで見かけたパク・デミン監督『パーフェクト・ドライバー 成功確率100%の女』

頭を空っぽにして見れるカーアクションもの、良い。物語や演出には残酷さに振り切らない優しさ(安心感)があって、ホッとしました。

お次はコラリー・ファルジャ監督『サブスタンス』

映画館で見逃した本作、感想等も全然追っていなかったので、全く予想していなかった展開に口が開きつつ。

後半なんてもう怒りのスプラッターの様相を呈し、これだけ爽快にそれまでの業界的状況を破壊しまくって中指を立てたのに、オスカーはあの作品が持っていったのかあ。と思ってしまった。

そして最後はアレックス・ガーランド監督『MEN 同じ顔の男たち』

これまた後半全くもって不思議な展開で、観終わった瞬間はポカーンとしてしまった。

なのだけど、あの素敵なカントリーハウスでの不可思議な出来事は、主人公の女性ハーパーがこれまで男性から受けてきた理不尽な性差別や性的客体化、(言葉による心理的、または直接的な身体への)暴力等によって植え付けられてきた恐怖心を克服し、自身の力を取り戻すための儀式のようなものだったのではないかと。

女性の怒りは「ヒステリー」として矮小化され、男性の怒りと同様の扱いを受けられない、とか。

男性の思うようにならない(順従な態度を見せない)と、途端に汚い言葉で罵られたり、とか。

なれなれしく太ももに手を置かれたり、とか。

明らかに非があるのは理不尽な暴力を振おうとする男性であっても、「安全」のために行動を変更せざるを得なかったり、「安全」のためにより高いお金を払わないといけなかったりするのは常に女性側だったり、とか。

でも

カントリーハウスに滞在中、同じ顔の男たちによって上記のふるまいが繰り返されるとき、ハーパーは「くそくらえ」と言い放つし、恐怖心が襲ってきた時もそれに反抗するかのように自分の行動を変更しないし、

何なら最後の方では、何度も何度も再生産される、自身を蝕んできた存在としての男性に対し、半ば呆れた顔すらしている。

そして、全く相手の気持ちを思いやることなく自分の主張だけ押し通そうとし、それを黙って受け入れることを「愛」だと勘違いしている夫に対しても、完全に決別することができたことを示唆するようなラスト。

本当にね、もう、「知らんがな」の一言で良いはずなんですよ、そういう相手に対しては。男性がつくった(存在が男性に対して都合良すぎる)聖母になんて、ならんでいい!

あまり意識してなかったけど、3本とも何となく自分的に同じムードを内包している作品で、もうそこが前提というか、そこに無自覚な作品は観るのがきついのだなと思った次第。

(編)

 

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