朴婉緒『あんなにあった酸葉をだれがみんな食べたのか/あの山は本当にそこにあったのか』読了。

徐台教さんの購読型ニュースレター『新・アリランの歌』で紹介されていて知った本書。先日の青森県内2週間旅のお供に持参して、一気に読みました。

タイトルのリンク先、影書房の紹介ページから以下引用で

本の植民地支配下、幼年時代を過ごした農村で暮らし。
何度も入れ替わる支配体制に翻弄される朝鮮戦争下のソウルでの日々。
成長期を迎えた少女時代の〝家族〟との葛藤。
時に家父長制を体現するような母親との確執。
そして一家の大黒柱となり自立した大人の女性へ――

特に朝鮮戦争下のソウルでの日々が本当に凄まじかった。昨年、韓国の近代史を扱う大韓民国歴史博物館へ行ったときに、「朝鮮戦争時の戦線の移動具合がすごくて、昨日まで北の支配地だったところが今日から南…となると、そこに住んでいる人たちも一つ対応を間違えると死…という話で、この辺を描いた物語を読んでみたい。」と書いているのだけど

兄の影響で共産主義に魅力を感じていた筆者が、実際に人民軍の支配下にある中で「内実を伴わないのに称賛し熱狂してみせる」ことを強いられ、「体から徐々に生気が蒸発してゆくのを強く感じた」という記述は生々しかったし、その支配が一晩でひっくり返るというのは本当にすごい世界だなと…。

そして韓国国民の愛国心が、凄まじい反共へと転じたという部分も。

「勝利の時間はあっても寛容の時間があってはならないのが、イデオロギー闘争の特性なのだろう。」「イデオロギーには良心のカケラもない。」

という言葉にはハッとしました…。

先に挙げた『新・アリランの歌』では、本書の紹介文の最後に

さらに本書は、韓国の市民がいかに激動の現代史を歩んできたかの証明でもある。朴婉緒が生きた1931年から2011年までの間に、植民地そしてそこからの解放、南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁、民主化に経済発展と、日本とは全く異なる歴史が存在する。その一端を鮮やかに書き出したと言えるだろう。

とあって、「日本とは全く異なる歴史」の苛烈さに身を置いてきた人たちの物語を、もっと知りたいなあと思う。

いやホントに素晴らしい一冊に出会えて良かったです。とてもお勧め。

(編)

 

 

 

 

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