少し前のことになりますが、富樫幹個展『ひらいた詩集』を見にTO OV Cafeへ。

最初にこのステイトメントを読んで、

画像引用元 https://toovcafegallery.shopinfo.jp/posts/48483030?categoryIds=1086064

詩というのは大抵本の中の暗闇にいて、本を開いた時に空気にさらされ、跳ねたり、泣いたりし始める。

それに今度は人が触れて、感触として生きだす。人が触れる前までは、存在の確認をすることもできない。

更には「私」に触れたとて、曖昧な存在であることに変わりはない。その感触は瞬間的で脆い。そしてその手触りは消え、言葉だけが浮かび上がる。

ここに書かれていることがその場での作品体験そのもので、ドキドキしてしまった。

《開こうとする詩集の黒》と《閉じた詩集の黒》。

この中央の絵(確か「星座」的なタイトル)も好きだったなー。

上の引用文は、この場での作品体験だけじゃなく、家で本を読む行為の意味合いすら変える気がするし、

書かれていることはそのまま人の内面にも当てはまる感じがして、となると「私」とは「詩」なのではないか?とハッとしたりもして、とにかく響きまくりました。

幹さん…!詩人…!

ちなみに私は《詩、名はない》を購入。先日引き取って飾った図がこちら。

展示で見ていたときは全然気がつかなかったけど、文章、回文なのですって。

すごっ!

jobin.さんのサケとの競演もいい感じです。

閉じた本の暗闇が、泳ぐサケの影が入ることで海の底の暗闇に思えてきて、沈没船の中に閉じ込められて開かれるのを待っている本…とかロマンチック!!!と一人で盛り上がってしまいました。

朝の冷たい空気と光の中で見る本作も良いのです。

ストーブの火にあたりながら、目の前の壁にポッカリとできた別世界をぼんやり眺めつつ。

あと、幹さんの500m美術館の方の作品も拝見。

この動きの真似をしたくなるけど、大人なので自重した次第。

※その他、過去に購入した作品については、こちらにまとまっています。

(編)

 

Tagged with:
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA