観た映画2本。

キム・ヒョンソク監督『アイ・キャン・スピーク』@アマプラ

おばあちゃんが英語を習う理由と、「I can speak」と発するときの重み。市場でずっと仲良くしていた女性との慟哭シーンは私も泣いた…。

本作のあらすじや受賞歴はこちらをどうぞ。

作品画像には「日本では上映不可能と言われた問題作」というコピーが入っているけど、結果としてアマプラの見放題に入ったことにより、多くの人に観てもらえるといいなあと思います。

というか、事実に基づいて映画化された作品なのだから、全然「問題作」じゃないと思うんだけどな。これを「問題」と捉えるメンタリティーが問題なのでは…。

次、フラン・クランツ監督『対峙』(原題:Mass)@シアターキノ

「私の話は皆さんと少し違う」という話が、きちんと語られるところが素晴らしかったです。その前までで十分名作だと思うけど、あそこで唸りました。

帰宅後にこのレビューも発見。ぜひリンク先から読んでほしいのですが、自分がなるほどなあと思ったのは以下の部分。

司法と離れた場所で、被害側と加害側が直接対話すること自体、日本では考えにくい。しかし、この当事者による対話は、国連も推奨する「修復的司法」という発想に基づいていて、1970年代以降、世界各地に広まってきた。

レビューでは、この流れで南アフリカのアパルトヘイト後に行われた「真実和解委員会」のことにも触れられていて、この「真実和解委員会」のことはInua Ellams『Barber Shop Chronicles』を観たときに初めて知ったのだけど、自分の『Barber Shop Chronicles』感想ブログを読み直すと、

「家族の、国の、歴史(過去)に対する「赦し」の難しさや、未来を見つめて前に進むことの難しさ、そこに生まれる葛藤」と書かれており、

『対峙』でゲイルが吐露した言葉には、上記のことが凝縮されていたなあ、と。

(ここでふと思ったけど、「赦し」は相手が誠実な態度を見せて初めて至ることのできる境地であって、慰安婦や徴用工問題における安倍元首相のような対応では、とてもじゃないけど前に進めないな…と…)

あとレビュー最後には

ノイズ(厄介者)といえば、加害者やその家族も世間にとってはそうだ。被害者遺族でさえも、理想の被害者像から外れれば、同様の扱いを受ける。

とあり、この部分に続く執筆者の問いかけについても、しばし考えてしまいました。

この物語は演劇作品としても観てみたいなあ。

ちなみに本作上映時の予告編で流れていた『逆転のトライアングル』『ワース 命の値段』『丘の上の本屋さん』もかなり気になりました。見に行かなければ。

(編)

 

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