先日偶然見つけて即買いした、亜璃西社の教えて先生シリーズ、関秀志『北海道開拓の素朴な疑問を関先生に聞いてみた

受け入れ準備や移住費用、開拓地での初日、日常生活や町ができるまでなどがわかって、とても面白い。

明治15年(1882)から19年(1886)初めに各県と国が協同で各地の失業士族を政府の資金で移住させた例の中に、山形県(旧庄内藩)から木古内に入った失業士族のことが紹介されていて、

自分の場合も、父方の家系は山形から木古内へ移ってきた漁師なので、あの辺は山形からの移住者が多いのかな?と思いつつ。

移住の心得が掲載された「北海道移住手引草」とか、読んでみたいなー。

生まれ育った土地が災害に遭うとか、農家の三男四男で暮らしていけないとか、北海道に渡ってきた人たちは生き延びるために藁をも掴む思いでやってきて、実際に来てからの開拓の数年間は壮絶でもあるのだけど、

同時に、そういった和人の移住や開拓のために、住んでいた土地を追われたアイヌの人たちが多くいる。(でも、移住してくる側は区画を案内されるときなんかにそんなこと説明されるはずもないよな…と思うけど、どうなんだろう)

政府関係者などほんの一握りの人たち以外は、皆悲惨な思いをしているのがこの時期の北海道だけど、そこからどうやって移住してきた側に「差別心」が生まれていったのだろう。

開拓民の悲惨な暮らしからすると「自分たちより下の存在」がせめてもの救いだったのだろうか。アイヌからすると移住前からすでに和人のことは憎い一方だろうしな。

権力構造とは全く無縁で、悲惨な暮らしを強いられる末端の庶民なら、同じ境遇の人の気持ちがわかりこそすれ、それをさらに踏みつけるようなことはなさそうなものなのに、実際大部分はそうならない…と複雑な思いを抱きながら、本書を読み終えた次第。

で、本書で知ったことをふまえて、

船山馨『石狩平野』を。

以前見た文学館での展示『天変地変人禍に抗して 北海道の災害と文学』からの一冊目であります。

読み始めてすぐに、いきなり面白い。

新潟から移ってきて、諸事情から二年小樽で過ごしていた一家(治作・みね夫婦と主人公で一人娘の鶴代)の、小樽の大火のときにパニクる治作とは対照的に、みねが見せた肝の据わった対応と、もしものときのためにみねが貯めていた4円の輝き!(ちなみに上記の開拓本を見ると、4人家族の移住費用に含まれている1年間の食料費が53.65円と書かれているので、4円は鶴代家族にとって1カ月半くらいの食費に当たる貯金だったのですね。)

そして、札幌に移ってその4円を遊郭で浮かれて一晩で使ってしまうという、うっかりが過ぎる治作…。みねを見ていると、関先生が「女性が開拓を支えた」と言っていたのが何度も思い出されて泣けました。

それにしても、本書の石狩川氾濫や蝗害の描写が凄まじい…蝗害はホント血の涙が出てそうな…。

鶴代が18歳頃になってからの、鶴代と次郎の葛藤も良かったなあ。次郎が友人に、彼の両親のことで苦悩しながら人間の神性と獣性について語るくだりには唸りました。

少しずつ人が変節していく様子も描かれていて、その中で変わらずまっすぐな鶴代には本当に救われる。そしてもう一人、鶴代とは真逆の恵まれた境遇で、かつ強い女性として描かれている多佳子も。

『石狩平野』では明治編が、『続石狩平野』では大正〜昭和編が描かれていて、『石狩平野』は一気に読み終えたので、今は『続石狩平野』が届くのを待っているところです。

『続石狩平野』のときに、『石狩平野』のこともふまえてアレコレ書こうと思います。

『石狩平野』、めちゃおすすめ。

(編)

 

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