Edinburgh International Festivalの「at home(配信プログラム)」が始まっていて、慌てて見たのは『Chotto Xenos』。

アクラム・カーンのソロ作品『Xenos』を家族鑑賞向けにしたもので、この『Chotto 〜』はシリーズっぽい。

ちなみに、こちらが『Xenos』の予告編。

第一次世界大戦に、英国の植民地(インドやアフリカ)から出征した兵士の物語です。

インドの古典舞踊の一つで神話や英雄物語を伝承するために踊られたカタックダンスに、コンテンポラリーな要素が混ざった振付で、

私たちが生きる驚異と混乱が渦巻く世界で、東洋と西洋、過去と現在、神話やテクノロジーの境界を探る作品。

ちょうど先週『1917 命をかけた伝令』を見ていたこともあって、別の視点、別の表現で第一次世界大戦のある側面に触れた感じ。

続いて、8/26日(木) までGyaoで無料配信中の『否定と肯定』。

ユダヤ人の女性歴史学者リップシュタットは、「ナチスによる大量虐殺はなかった」と主張する歴史家アーヴィングを批判し、名誉毀損で訴えられてしまう。提訴された側に立証責任があるイギリス司法制度のもと、彼女と弁護団はホロコーストの存在を証明するためアウシュビッツへ向かう。弁護団は生存者の証言には頼らない秘策で戦いに挑もうとするが、リップシュタットは猛反発。世界中が注目する前代未聞の裁判がついに始まるのだが……。

「あれは嘘だ」「なかった」という主張は簡単にできて、それが「こうであってほしい」という幻想に乗って広まっていく手軽さに比べ、これまで積み上げ精査されてきたことを守るにはさらなる検証と忍耐強さが求められるの、しんどい…。

でも前者は、手軽なだけに幼稚に見えると思いました。『主戦場』を見たときも、同じように思った記憶が。

あと、シネマ映画.comで配信スタートした『ファーザー』を。

認知機能が徐々に低下していくときの、「すべての葉を失っていくようだ」と感じるくらいの不安や恐怖を、外部の人が和らげてあげることって可能なんだろうか。

アンソニーがその恐怖を打ち明ける、以下のやり取りがとても印象的で。

Anthony : I feel as if I’m losing all my leaves.

The Woman : Your leaves?

Anthony : Yeah.

The Woman : What do you mean?

Anthony: The branches and the wind and the rain. I don’t know what’s happening anymore. Do you know what’s happening?

(続きは、こちらから読めます)

本作で娘は自分の人生を生きることを選択し、アンソニーを施設に入れてパリへ引っ越すことを考えると、やはりその恐怖はその人自身が受け入れて、別の人間(家族であっても他人ですから)にできることはない。という一つの答えのようにも感じる。

自分だって、もちろん娘の立場やアンソニーの立場にこの先なりうることを考えても、なかなか…想像できることには限りがあるな…。

あとシネマ映画.comで、8/27から『ブラックバード』の配信が始まるのも嬉しいっす。見るぞー

(編)

 

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