昨夜は気心の知れた方々との忘年会@小春南。
何となく会話の一つをきっかけに、ぼやーんと考えたことを徒然と書きます。
世の中には無数の層があり、あらゆる物事は「それが存在する層」の中の、需要と供給の法則であったりルールであったりに拠っていると思うのです。
大まかに言って、価値判断はあくまで「自分が存在する層から見た」価値判断でしかなく、人の考えや嗜好なども、その人が長く時間を過ごした層の影響を受けていて。
価値のあるなし(物事の優劣)ってのは、ある人たちが「自分たちのいる層」の基準で決めたものでしかなく、決して全ての層に共通するものではないわけです。
そう考えると、結局は、人の羨望を集めるものは幻想でしかないよなあ、と。
ある層では全然見向きもされなかったものが、別の層では大絶賛されたりってことも起こるわけですから。
「自分たちの層は他より優れている」と、例え思っている人がいたとしても、ミルフィーユの生地一枚一枚に優劣などないように、層それ自体は、単にこの世界を構成する一枚の層でしかありません。
さて。
これだけ情報が行き交う社会になると、多くの人が日常的に複数の層を行ったり来たりしているし、存在だけは何となく知っている層も多いのではないかと。
でも世界には、人間が把握できないくらいの層が存在していて、それぞれに価値観や理論、あるいは生体システムのようなものがあり、それらが同時進行で動いている。
異なる層で形成された価値判断や考え方はたまに衝突しますが、それでもたくさんの層を探求することは、知的好奇心の刺激される作業ではないかと。
そして、
そうすることでしか、「価値」ってものに自分が納得できる日はこないのではないかしら、とも。
ずっと一つの層に居続けて、そこの誰かに価値付けてもらうのを待っているよりは、いろいろ動いて自分で価値付けていくほうが、精神的に健やかな気がします。
この「自分で納得する」ってのが大事で、
幻想でしかないものに対して「いや、やっぱりこれは自分にとって大事だ」と思えたなら、結構生き方がスッキリするのではないかと思った次第です。
(編)

 

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