最近、美術の世界に身を置く方々と話しているときなどに、
よく「演劇には興味があるのだけど…」と言われたりするのですが、「…」のあとには「ストーリーどうこうには、あまり興味がない」と続くことがわりと多く。
でも、例えばインスタレーション作品を読み解くのと同じ感覚で、演劇も楽しむことができると思うのです。
先日見た弘前劇場の作品は、沈黙の中に、畏敬の念を抱かせるような何かの気配が立ち現れ、
人間の声も虫の声も鳥の声も、宇宙から見れば全て平等な生命の音であると感じさせるものがあったのですね。イントネーションや残響は、とても音楽的で。
話の筋として直接語られるものではないけれど、その全体として生まれるものが豊かであればあるほど、ジャンルに関係のない楽しみ方ができるはずで。
「ストーリーどうこうには、あまり興味がない」とおっしゃる方々は、そういうことを求めているのではなかろうか…
と考えると、
「演劇を見る人を増やしたい」という目標のもと行われる、つくり手側の努力として、「わかりやすさ」や「エンターテイメント性」という言葉をよく目にしますが、
それが演劇を見る人を増やす唯一の選択肢、ってことではないわけで。
という
脳内の途中経過でした。
(編)
2 Responses to 脳内の途中経過
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たびたび失礼します。ほりうちです。
昨日舞台を見てまったく同じこと思いました。
ストーリーに固執する演劇の「限界」を感じたというか・・
舞台美術、音楽、肉体、光、熱、リズム・・
空間として感じればとてもすばらしいのだけれど、
せりふが入り、ストーリーが軸になってしまった瞬間、
観ていてなんだか日常に引き戻されたのなぜなのだろう
ということを思いました。
これを解決するには、
たとえば、ストーリーテラーがいて、
他の演者はしゃべらずに・・とか
言葉と肉体がちゃんと融合している人間の姿、
きちんとそれを演者が果たせていないな・・・とか
でも一方で、
難しくない、考えなくて良い、わかりやすい
「エンターテイメント」だからこそ来るお客様の層・間口、
というのも存在するのかな、と思う部分もあります。
お客を呼ばなければならないことを考えると
どっちが良いのか(どっちの層の方が顧客母体として多いのか)
難しいですねー・・
こんにちは。
>難しくない、考えなくて良い、わかりやすい「エンターテイメント」だからこそ来るお客様の層
私この層にも片足を突っ込んでいるので、あれなのですが…
でも見る人なんて千差万別ですし、例えば私が面白いと思ったポイントが、他の方には我慢ならないポイントだったり、ってことが実際ありますから、
結局、誰かを得たら誰かを失う、みたいな感じだと思うのですよ。
それだったら、自分たちのつくりたいようにつくった方が、「出し切る」感があっていいのかなーと思います!