劇団こふく劇場『ロマンス』をシアターZOOで。

10歳の頃に近所のおばあさんから「あなたは64歳の誕生日の朝に目が覚めなくてそのまま死ぬよ」と予言された石田雄造という男性が、63歳の誕生日を迎えた日の朝に本作は始まり、64歳の誕生日を迎える前の日の夜に終わる、というもの。

今、私たちはここにいるけれど、ここを去ってしまった人たちと邂逅する術は人それぞれにあるのだな、ということを思わせる作品でした。

娘を亡くした石田雄造も、思いを寄せていた人を亡くした森下薫子も、母を亡くした芹生久も、彼らなりのやり方である種の邂逅をして、ここにいない人とも一緒に生きていくというか。

そおいう、生と死とその間にある夢や幻のような領域を行き交う、それぞれの循環のリズムをぼんやり感じつつ。

ちょうど観劇前に書店で買っていた『さよならのあとで』という死に関する詩集の

死はなんでもないものです。

私はただ

となりの部屋にそっと移っただけ。

という冒頭の3行とも通ずる世界観だなあ、と思いながら観たのでした。

そして終盤

未婚&子なしな47歳の薫子が母親に向けて放った「孫に会わせてあげられなくてごめんね」的な短い吐露は、その前の彼女から全く予想していなかった心情だっただけに、完全にノーガードで不意を突かれてえぐられてしまった…。

やっぱり自分にも、そおいう罪悪感がどこかにあるのだろうか…と考えてしまうな…。でも、これって正直女性にかけられた呪いじゃないのかなと思うんですよね。

今、私はここにいるけれど、子を産むことだけがここにいる理由ではないわけで。

このシーンでは、薫子の言葉を受けて母親が「あなたの店に来るお客さんがあなたの子どもみたいなもの」という感じの言葉をかけるのだけど、これもさ、なぜ女性には子どもと母性が(比喩の世界でも)セットでついてまわるのか…という疑問はある。

と考えると、前日に『冬の旅』のモナに出会っていて本当に良かったなと。まさかこの映画が、翌日に振り下ろされた刃からの出血に対して「知るかよ」って感じに受け止める力をくれるというか、救いになるとは思いもしませんでした。もうモナ先生と呼びたい…

そおいう内面の荒ぶりがあったりもしたのだけど、『ロマンス』という作品全体の観劇体験としてはとても良かったです。

特に、森下薫子を演じたかみもと千春さんの存在の仕方や、彼女の声を聴く行為は、とても良い余韻のある時間でありました。

(編)

 

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