この日は2本。まずは百瀬文『鍼を打つ』を応用美術館で。

※2021年にシアターコモンズで本作が上演されたときのartscapeレビューはこちら

私は本作で人生初の鍼体験となったのですが、会話一切なし、問答無用でいきなり相手(鍼灸師)を信頼せねばならない、という美術館内だから成立する状況の特殊さで、

そんな状態で相手の前に仰向けとなる無防備さに抵抗感もあり、「飼い猫が自分にお腹を吸わせてくれることは、相当の信頼があるのだなあ」と変なことが頭に浮かびつつ。でもお腹に鍼を打たれることを想像すると「やめて〜」と思ったりもし、実際に打たれるとき力が入ってしまった。

と同時に、

自分の身体を触る鍼灸師さんの手には明確さがあり、手の動きに意識を集中すると不安は消えていった次第。

最後、鍼灸師さんが自分の手を握ってしばらく時間が過ぎたのだけど、鍼灸師さんの温かくしっとりとした手の感触が、次第に自分の身体と同化していくような感覚があり。気づけば異物の鍼の存在も、自分の身体は受け入れてしまったようでした。

イヤホン越しに流れてくる言葉(問診票と同じ言葉)は、英語だからワンクッションあったけど、これ、日本語でダイレクトに入ってきていたら泣いてしまったかもしれないなあ。

普段は何人たりとも立ち入らせないバリアを張り巡らせているのだけど、意図せず心がやや無防備になってしまうような作品体験でした。でも、劇場の暗闇の中では作品に対して無防備に自分を開いているよなー、ということも思いつつ。

終了後、思いがけず自分を担当してくれた鍼灸師さんとお話することができて、それも贅沢な時間でした。通常の鍼治療ではきちんとコミュニケーションもセットだそうです。そりゃそうだ笑。

その後は応用美術館の企画展も拝見。前日のトークに出ていたサオダット・イスマイロボの映像作品も楽しみにしていたのだけど、字幕がドイツ語オンリーで切ない…。

で、一旦ホテルに戻り

鍼効果で血行が良くなったのか身体が少しだるかったのだけど、夜に2本目の観劇。

ポーランドからのGosia Wdowik『Wstyd(Scham)』を、フランクフルト劇場で。

「Shame(恥)」というタイトルの本作は「Fear」「Anger」という感情を描いた三部作の最後の作品だそうで、2020年に行われたポーランドVogueの演出家インタビューがとても興味深かったです。

(特に女性に対して)恥を通してコントロールしようとするシステムに対して、「怒り」はそれに抵抗するための一つの良い手段である、とか。

そして、宗教右派などを含む保守的な価値観から、セクシュアリティに関して社会的に期待される規範的な行動や外見に背いていると考えられる人たち、特に女性と若年の女性に対して非難し罰する行為である「slut-shaming(スラット・シェイミング)」に対する反対表明でもあると。

そして何を「恥」と感じるかは時代など個人を取り巻く状況で変わってくるものなので、祖母、母、演出家である娘の三代を通して、「恥」というものがどう受け継がれ、その感じ方はどのように時代や環境等に左右され、それをどのように克服しようとするのか(ただし、決して克服が成功の物語にならないよう細心の注意を払ったとのこと)、ということへの興味で本作を作ったそうな。

自分に置き換えても、親子は一見すると一番近しい存在であるような気がするけど、価値観形成時の時代や環境が大きく異なるわけだから、分かり合えないことの方が多い。

母が「恥ずかしい」と感じることでも、娘の私は全然平気だったりもするしな…。(そういう私を見て母は恥ずかしいと感じるのかもだけど)

母も「語ること」を望んでいるのだろうか。

私は、このまま母に対してバリアを張っていていいのだろうか。

何かいろいろ考えてしまった。

※フランクフルト滞在のブログはこちらにまとまってます。

(編)

Tagged with:
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA