ブリス・ポルトラーノ『NO SIGNAL』

上リンク先、ナショジオの紹介ページから

ノルウェーの無人島で灯台守として暮らす、ギリシャの廃村で新しい人生を始める、フィンランドのツンドラで犬と生きる、イランで古のペルシャ騎士の生活を守る、モンゴルの少数民族とともにトナカイの遊牧をする、アメリカで完全な自給自足を目指す──

本書に登場する10人の多くは、都会で働いたり学んだりしていたものの、あるとき、自然とともに暮らすことを決意する。忙しない現代社会から脱出し、人の生活圏から遠く離れた辺境の地や、インフラも整わない山や無人島、廃村へと移り住んだ。
ガスも水道も電気も通っていない場所で、夢にまでみた孤高の日々を送る、満ち足りた日々。

ソローに触発された著者は、北はフィンランドから南はアルゼンチンまで、彼らを訪ね歩き、ともに暮らし、それぞれの紆余曲折と、願い通りの日々を送る今を、美しい写真と文章にまとめた。

興味深く拝読。紹介されている人たちは、観光客やボランティアなどなんらかの形で自分たちの場を他者にも開いている人たちなので(それゆえ取材も受け入れたのでしょうけど)、一年中全く人の気配のない生活をしているわけではないけれど。

今やガス水道電気が通っていなくとも(そこは薪ストーブや湧水&雨水、太陽光で自給)、命綱的にインターネットだけは必須であるというのが面白かったな。

インフラのない場所で動物も含め自然とともに暮らすというのは、イコールやることがたくさんある、ということで、本書に出てくる人たちも皆働き者でした。

でも時間を切り売りする労働とは全く質が異なるので、満たされ度が段違いであり、それがそれぞれの幸福につながっている。

私はというと、日々お山の自然を享受できる住環境でありながら、

水道以外のインフラは整っており(上下水はないので井戸水&自然浸透式の排水と、バイオトイレ。あと冬季は車が入ってこれなくなるので、メインのストーブは灯油ではなくペレット)、

谷間に位置しているため人や車の通りがなく、静寂である。といういいとこどりのような幸運に恵まれたのですが。

ただ、生活に必要なものは自分で作る、ということをママゴト的にはしています。

猫の額のような菜園スペースのルバーブでジャムを作ったり、ミニトマトやハーブを育てたり

便利なツールを使ってパンやヨーグルトを作ったり、ズボンは自分でミシンで作っていて、手間がかかるのでその後も繕ったり染め直したりして長年愛用していたり

地階の薪ストーブ用に薪割りをしてみたり

都市の便利さや業者の方々ともつながりながら、自然に囲まれた暮らしのライトなレベルにお邪魔させてもらってる感。

ただ断熱性ゼロの古い家なので、冬の室内の寒さは本書に出てくる人たちといい勝負なのでは…と思ったりもしたけど、向こうは−20〜30℃の世界なので、やっぱりこんなもんじゃないのだろうか。

地階は常に氷点下なので、排水管の中で凍って排水しなくなったり、シャワーが出なくなったりと日々大変なのですが。

そういったことも含めて、ここでの暮らし(特に冬)は身体が資本で、何歳までここで過ごせるのかなあという懸念はある。

(自分の身体がまいる前に、土砂災害で住めなくなるという可能性もある。)

上の『NO SIGNAL』には、ノルウェーの無人島に灯台守として一人で暮らす50歳の女性が出てくるのですが、ある程度歳を取ってからの、こういう環境での一人暮らしの例をもう少し知りたいなー。

(編)

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