読んだ本。

イ・ミンギョン『脱コルセット 到来した想像』

長い髪や化粧、着飾りなどに象徴されるルックス至上主義や規範的女性性に抵抗する運動として、韓国の10代を中心とした若い女性たちの間で広まった「脱コルセット」運動。

参加するには髪を短く切り、化粧をやめて、シャツとズボンを着用する。とあって、

この運動の最大の特徴は、上記のことを体験(行動)することで初めて「何が女性に対してだけ課せられる義務となっていたか。そしてそれが女性から時間やお金をいかに奪っていたか」が肌感覚としてわかることである、と。

着飾り方の多様性は多々ありながら、そこに「着飾らない」という選択肢がなかったことの発見や、身体の見た目よりも機能を重視できるようになったこと、着飾り労働にかけていたお金を別のことにかけられるようになって人生の質が上がったことなどが、脱コルセットした人たちの体験を通して語られていきます。

「それめっちゃわかるよ!」と思ったのは、既製の女性服に関するくだり。

脱コルセットをすると、それまで着用していた足を痛めるヒール靴やタイトでペラペラな素材の服は不要になる。で、脱コルした自分が着たいと思う「楽でしっかりとした素材の服」は、女性服売り場ではなく、男性服(本書の中では「人間のための服」と表現されていた)売り場にあるという発見のところ。

自分も、レディース服にありがちなタイトなズボンや、謎にウエストがシェイプされたシャツやジャケットが(着心地的にもシルエット的にも)どうにも好きじゃなく、上着はメンズのSサイズを着たり、ズボンは自分で作ったりってことをしてきたので、めっちゃ頷いてしまった。

今はユニセックスも増えましたし、日本はすっぴんや楽ちんシルエットの服に関しては「ナチュラル・オーガニック」みたいなところが開拓してくれているし、何と言っても長い髪の毛を良しとする規範がないので(ないよね?)またちょっと状況が異なるとは思うのだけど、それでも環境や職種によっては未だに「女性だけヒールのある靴着用」とか「女性の化粧は身だしなみ」とか「女性の制服はスカート」がまかり通っているので、そういった男性に求めないことを女性にだけ求めるような条件は早くなくなってほしい。

(強制がなくなって初めて「自由な選択」が成立するので。)

この流れで、途中で放置していた現代思想の「ルッキズムを考える」特集号も読了。

いろんな切り口の論考が掲載されていたけど、自分に寄せて「そうだよねー」と思ったのは、若いときは身体の見た目が重視されるけど、歳をとってからは機能が重視される、というところ。

高齢者にとっては目が二重かどうかということより視力がなんぼあるか、ということの方がよっぽど大事、みたいな。筋肉率とか骨密度とか。

女性は、歳をとることでやっと人間に戻っていくことができるのか…。と考えると、10代だろうが20代だろうが、いつでも自分の好きなタイミングで人間に戻っていいわけで、そのタイミングを社会から強制される筋合いはない。

あと本書でも取り上げられていた脱毛広告も罪深いなーと思うけど、「脱毛しない選択」も少しずつ世に出てきていますし、近年は白髪についても「そのままでいいじゃん」ってモデルが増えてきているので、まだまだ残る女性にだけ課せられたおかしな規範が少しずつなくなっていくといいな。

自分の若い頃を振り返ってみても、制服時代は冬のストッキング着用によるしもやけや靴のムレに悩まされていたし、髪が長かった頃の服装に関して言うと、ヒールはもちろん細身の靴がめちゃくちゃ足に合わなかったのに他の選択肢を知らずに無理して履いていたし、タイトフィットな服を着ると目立ってしまう脇肉はガッチリ寄せて上げてなブラジャーで苦しかったし、もちろん下半身も時には暑くて苦しいガードル、タイトなズボンだと保温のためのタイツなんて履けないし、メイク道具一式揃えるとえらいかかるし、髪の毛もコンディショナーやトリートメントが必要だったし、服の素材に無頓着だった頃は手入れも面倒でしかも全然温かくないものにお金をかけていたし…と結構出てくるな!

今はそういった全てから解放され、身体をいたわるためのものを選べるようになってきたし、それに伴って量もコストもとてもシンプルになった感。

ええこっちゃ。

(編)

 

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