RED KING CRAB『我夢捨螺』をシアターZOOで見てきました。
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「真冬の北海道。 山中で一人の男が凍死した。
氷点下何十度の突風が吹き荒れる山中にたった一人取り残された男。
そして男は自分が亡くなる三日前の出来事を語り出した。」(作品紹介より)
彼らの作品は、2014年のTGRで見て以来、二度目の観劇です。
そのときのブログに、「NO LINEを見たときにも思ったけど、「うまくなる」ことで失われるものもあるよなあ、と思った土曜日でした。彼らはこの先、どんな感じになるのでしょうね。」と書いたのだけど、
『我夢捨螺』を見た結論としては、「彼らの良さを失わずに、うまくなっていた」!
箒で作った「ノボちん(だったかな?)」を役者さんが演じる演出とか、良かったなあ。
ちょっと思ったのは、設定をもっと抽象化しても良かったのでは、ということでしょうか。
本作は「冬の山で遭難し、山小屋に避難してから一カ月経過した男」という設定になっていたのだけど、そうなるとディテールが気になってくるというか、
足を骨折した男が一カ月過ごせるだけの備蓄のある山小屋が、6年も使われていないということがあるだろうか?(そして一カ月もの間、人が訪れないということがあるだろうか?)
とか、まあ、目の前の状態と設定の間に無理を感じてしまうのですね。
でも、本作で自分が大事だと思ったことは、別に冬山で遭難している状況をリアルに描くことではなく、
人はそもそも自分のことしか考えないということを大前提とした上で、「それでも人が他者のことを考えるようになるまでのプロセス」、あるいは、「一見、他者のことを考えているような行為に潜む、自分の甘え」を描くことなわけで。
本作がそれを描けていたかというと、自分としてはまだぼんやりしているなあという感想ですが、「矮小な自分」に収まっている男の滑稽さや葛藤は、見ていて思わずニヤニヤしてしまうくらい痛くて良かったなあ。
なので、
設定等は思い切って抽象化してしまった方が、大事なことに対して集中できたなと私は思うのですが、どうでしょう?
もう一つ、自分的には、雪崩が小屋を襲うシーンで終わっていた方が断然好きでした。正直、一瞬あそこで終わったのかと思って、「おお!!!」と興奮したくらい。
あのあとに続いたシーン(そこで伝えようとしていたこと)って、もうその前までで十分伝わっていたんじゃないのかなー。
ということで
上から目線で勝手な要望を言うと、作・演出の竹原さんには、抽象化した舞台上で本質的なやり取りが交わされるという演出も、ぜひ試みてほしい。
RED KING CRAB、今後の作品も期待しております〜。
(編)
 

 

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