わりと長いです。
今年の夏に、街中からバスや地下鉄で1時間くらいの場所へ引っ越すのですが、
改装のために週末せっせと通ったり、引越しに備えて今の家のものを処分したりする中で、自分の生活に不可欠なものはなにか、なぜそれが自分にとって不可欠なのか、ボンヤリ考えました。
自分の生活に欠かせないのは、自然、舞台芸術、美術作品(主に絵)、本。
自然についてはこの4年間、木やラズベリーが茂る庭のある生活を体験して、もう、こういったもののない生活は無理だなと。
野鳥や昆虫などいろいろな生き物がこの小さな庭に訪れるのを体感したので、今回ささやかながら、木がたくさん生えた土地を手に入れられたことはとても嬉しい。
そして、
舞台芸術は、どんなに多くの人が劇場内にいたとしても、上演が始まれば自分一人と作品との関係しか存在しない時間があり、かつ舞台作品との出会いは一期一会である(複製芸術である映画との違い)ということが、自分にとってどうにも大切なことで。
良い舞台作品に出会えば出会うほど、孤独と仲良しになれるというか。
自分はあんまり人とつながりたい、みたいな感覚ってないのだけど、舞台作品とだけはつながっていたいと思うなあ。
そして、
美術作品、これは主に絵なのですけど、絵のない生活も考えられないなあ。これまたなんでだろうと考えると、家の中でそれぞれの作品に視線を向けた瞬間、今いる場所とは異なる世界に飛んで行けるから、かな。
6畳の部屋に絵が6枚飾ってあったとして、部屋にいながら6つの世界に飛んで行けるって、これ結構いいんですよ。物質的な広さは6畳だけど、精神的な広さはとんでもなく向こうまで広がっていくから。
高臣大介さんの『路傍の泉池』は、さらに音も素晴らしい。新居は川のせせらぎがとても耳に気持ち良いけれど、それと同じくらい、ガラス同士が響き合う音も自分の生活に潤いをもたらしています。
(2011年以降に購入した作品に関しては、こちらにブログをまとめております。)
本も美術作品と同じような理由で。書物はまことに偉大。
で、
将来全く収入がなくなったら、どうやって生活していけるかなーとかボンヤリ想像すると、
引越し先には薪ストーブを置く小ーさな部屋(家の中にある避難所的な)を作るので、冬の暖はそれで何とか。電気代も払えなくなったら、トイレもコンポストトイレでいけるし、井戸は…手押しポンプもつけておけばいいのかな。
とか考えつつ、あとは庭にじゃがいもを植えて、『ニーチェの馬』のようにひたすらいもを食べ続けるしかないな、とか。
でも、例えばそこに風間雄飛さんの『はいからさん』があると、なんかいい生活のような気分になれる、気がする。(そのほかの作家さんの絵も同じく)
明るい時間はひたすら本棚の本を読んで、日が暮れたら寝ればいいじゃんいいじゃん。
舞台芸術はお金がないと見に行けないけど、これまでのブログを読んで思い返すだけでもいいじゃんいいじゃん。

ドアを開ければ、とりあえず自然だけはある。
という脳内シミュレーション。まあフワフワした他愛もないシミュレーションですけど。
なので、不可欠なこと以外のことは、ほどほどにバランスを取りながら楽しめればいいかな。と何かスッキリしてきた感が。
食もかなり適当なのですけど、これに関してはギヨームが矯正してくれるので、ありがたいことであります。
とはいえ、今後は冬の間深く雪に閉ざされるので、引っ越したら保存食づくりを少し頑張りたい。
(編)
 

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