金曜は『BABEL(words)』をニトリ文化ホールで。

Sidi Larbi Cherkaouiさんは映画『アンナ・カレーニナ』で振付を担当されたお方とのことで、


↑このシーンのように手を使って男女が会話する感じ、『BABEL』にもあったなー。素敵。
あとやっぱり、大きな三次元フレームで空間が変容していくのは、本当に気持ち良いなと。
言葉が(※)強者と弱者を生んで、その果てに、全てがなくなった世界でとまどいながらも他者とコミュニケーションをとろうとする姿は感動的だったけど、結局はそこからまた同じことを繰り返すのだろうなあとも。
※以前読んだ本では、言葉が印刷技術によって文字として残るようになったことが、国家やアイデンティティなどの境界を生み出した大きなきっかけとあったような。
いずれにしても、言語をはじめとしたいろいろなことを奪い奪われ、宗教的な争いとか移民のこととか、ずいぶん昔から体験してきたヨーロッパ(というか陸続きの土地)の人たちの作品だなあとしみじみ思い、
それはとても素晴らしかったのだけど、(というか全てに大満足で、札幌であれだけのカーテンコールとスタンディングオベーションを見れたことにもわりとじーんと来たのですけど)
帰り道ふと、
BABELに描かれたような物語に対しては、安心して感想を言えてしまうんだな、と。
うまく言えないのですけど、
他者&自然との境界が曖昧な日本の、長い時間軸の物語というか、自分の足元のことだけに安心して見れない物語、(そしてそれを今、どのように描きうるのか)を
今自分は欲していると思ったのでした。
うーん、何回書き直してもうまくまとまらないので、このまま放置します…
(編)
 
 

 

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