柴田智之さんによる、初のワークショップ。

制作公演ということで、昨夜はPATOSへ。
前日に「人の身体を一回経由して聞く言葉と、直接目から飛び込んでくる言葉の「フック」の差異」ということを書きましたが、
冒頭の柴田さんの語りは、
文字で見ていたら(自分の場合)サラリと読み流すであろう言葉の連なりが、「柴田智之」という身体を通してぶつけられることで、身をかわすことのできない力を持つのだなあ。
と、実感。
「言葉」なのか「人」なのか。何とも奥深い…
『演じたくない』は、中盤不思議なテンションだったけど、最後、まさかの轟音に続いてあの展開。
あの日以来、いろいろな場面で「後ろめたさ」を意識するようになった自分にとって、ラストに続く5分くらいの間は、まさに
「真っ当」の逆襲。
で。
自分はあそこで「待って待って。私は味方です。」と、言えないことだけはよくわかっております。
いろいろなことに関して、「せずにいられない」気持ちが起こらない自分の「都合の良さ」を含めた後ろめたさ。
なもので、力なく拍手を贈るという結果となったのでした。
見ていない人にはなんのこっちゃ、な内容ですみません。
そちら側には多分行けない、が、今の場所にいることも居心地悪い、ってことを
ずっと抱えていくしかないのでしょうねえ。
(編)
 
 
 
 

 

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