昨夜はWATER33-39『昨日明日協議会』×『休暇』をATTICで。
『休暇』は、プレビュー公演。「観ていただいて、さらにどのように創りこめるかを考えようと思っています」と以前清水さんがおっしゃっており、来年本作がどのような形になっているのか楽しみであります。
―――――――――――以下、徒然部分です。
最近、別の作品の取材時に、取材相手の方が「忘れるということは、神様が人間に与えてくれたギフトだけれど、それでも忘れちゃいけないことがある」と話していて。
でも、そうやって(自分の場合)自分の生活と少し離れたところの現実を常に考えようとすると、今度は自分の生活がグラグラ揺れてくる。
それはちょっと違う気がするってことで、目の前にある自分の生活をしっかり生きようと思うのですが、その中にだって、ちょっと解像度を上げれば問題は多々あるわけです。
かと言って、そういう問題にばかり目を向けて、暗澹たる想いで毎日を過ごすことが、「しっかり生きる」ことなのか。(大体こういう問題はポッと出てきたものではなく、何十年も積み重なってできた歪みだったりするし)
となると、やっぱり自分の見たいように見たり、信じたいことを信じたりすることだって、ある意味必要で。
その人がそうしたい(そうせざるを得ない)なら、周りはどうもこうも言えないし、結局はそういう一人一人の集合でしかあり得ない。何だかもう、自分「たち」とは言えなくなってしまったのですねえ。
自分が感じる、日本人の「他と混じりやすい境界」は、自分「たち」と言える時代にはプラスに働いていたけれど、今では酷なことなのかもしれません。
徒然と書きましたが、
大事なのは、「信じたいことを信じる」ことと「考え続ける」こととのバランスで、そのバランスも自分で決めるしかないのだなあ。
そして、自分にとって何が最適なのかを考えるには、世の中には雑音が多過ぎる。
と、感じてしまう今日この頃です。
(編)

 

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