韓国からやってきた劇団十年後の、『蝶、飛ぶ』を見てまいりました。

画像引用元 http://www.s-artstage.com/2012/tgr2012/schedule/#1105-11


翻訳演劇って、まだ2、3回しか見たことがないもので、役者が発する台詞と字幕のリンクはどのくらいのレベルで実現できるのか、ちょっとわからないのですが…
映像作品に字幕をつけるのと違って、ライブで字幕をつけることの難しさ、とか
省略される言葉や、翻訳過程で普通に起きる二国語間のズレ、とか
あるいは字幕を追うと、舞台上の役者の表情が見れない、とか
翻訳作品に触れるときって、もう、ある種の開き直りと言うか「わからなさ」を前提に向き合わざるを得ないのでありまして。
「わからなさ」が前提なので、少しでも「わかろう」と積極的に情報を受け取りに行く中で、文化の違いを感じたり、こういう構成の作品が生まれた文化背景などに想いを馳せたり。
とは言え、同じ国で育って同じ言語を話したとしても、結局は「わからなさ」を前提にするしかないのですよね。
さて。
『蝶、飛ぶ』の中で登場人物たちは、自分が見たものと見てないもの両方から勝手に色々と想像しては慌てふためき、自分たちが置かれた「村からの立ち退き」という状況に対しては、まるで他人事のようにあっけらかんと過ごすわけですが、
(少し広げて)
客席という顔の見えない暗くて安全な場所から舞台上で起こる出来事を見ていた人たちは、そこで起こったことを「感想」として色々思ったり話したりはしますけど、実際の韓国事情(暮らしや人)に対しては実感を持てないままで(そりゃそうだ)、
(さらに広げて)
日々ニュースやSNSから流れてくる情報から、勝手に色々想像してはあーだこーだと言っている私たちも、自分たちが身を置く社会の状況に対して、実際には他人事のように実感を持てないまま過ごしているのが多数なのではないでしょうか。
でもそうやって無責任に過ごしながらも、(昨夜の舞台のように)「はい、こんなに良い結末になりましたよ」と誰かが幕を引いてくれるのではないかと、どこかで甘い期待をしているのではないかしら。
いやあ、現実には
そんなこと起こるはずもない。
ということで、
本公演は明日8日まで。上の写真のうんこ座りの女優さんが、いろいろと豊かでした。
公演情報についてはこちらをどうぞ。
(編)

 

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