ひょんなことからU-NEXTの1カ月間無料トライアルをすることになったのですが、その間に結局グレタ・ガーウィグ監督『バービー』しか観れておらず、

こりゃーもったいないぞと、映画館で観ようと思いつつ逃した作品をここ数日観ておりました。

まず1本目。クリストス・ニク監督『林檎とポラロイド

原因不明の流行病のような形で記憶喪失者が続出している世界で、病院に導入され始めた「新しい経験と記憶を重ねて新しい自分になる」プログラムに参加する男性のお話。

実はこの男性には「失いたい記憶」があり、記憶喪失を装っていることが徐々にわかってくるのだけど、プログラムの一環で死に立ち会ったことから変化が起こり…

何かが明確に言い表される類の作品ではないのだけど、それゆえに美しい余韻のあるお話でした。

記憶とアイデンティティの関係で言うと、自分は無茶苦茶忘れっぽくて過去のことって忘れる一方なのだけど、本作の「新しい経験と記憶を重ねて新しい自分になる」ってところはとてもしっくりきた次第。

でも自分が変わっていくことを前提としているがゆえに、過ぎ去った物事に一切関心がないという姿勢について、果たしてそれは良いことなのだろうかとも一考してしまった…

2本目はシャーロット・ウェルズ監督『aftersun /アフターサン

お父さんが11歳の娘に護身術を真剣に(怖いくらいに)教えるシーンは、その必要があるこの世界のキツさを感じてしまった…。と同時に、同年代の少年とキスしたことを普通に打ち明ける娘に対して、「同年代ならいいか」と言えてしまう感じも良いなと。

親が娘に身を守る術を教えるのと同じくらい、息子を持つ親は息子が加害者にならないようマジ性教育や現代に即したジェンダー観を持たせるよう注意を払ってほしい…

CINRAのインタビューで紹介されていた「記憶はかすれ、記憶は調整され、記憶は私たちが覚えていると考えているものに合わせられてゆく。」というジョーン・ディディオンの文章と合わせて、良い映画体験でした。

3本目はヨナス・ポヘール・ラスムセン監督によるドキュメンタリー『FLEE フリー

本作は

主人公のアミンをはじめ周辺の人々の安全を守るためにアニメーションで制作された。いまや世界中で大きなニュースになっているタリバンとアフガニスタンの恐ろしい現実や、祖国から逃れて生き延びるために奮闘する人々の過酷な日々、そして、ゲイであるひとりの青年が自分の未来を救うために過去のトラウマと向き合う物語を描く。

というもので、これまでニュースや本、映画等で深めてきた難民の過酷さはもちろんなのだけど、祖国から逃げざるを得ないという状況が一人の人間に及ぼす影響の大きさが苦しい。

最後の最後まで胸を打たれる真摯さのある作品で、観れて良かったです…。

4本目はチョン・ジュリ監督『あしたの少女

個人から力を奪っていく構造に社会全体が陥ってしまったら、当然の如く弱い者から犠牲になっていくし、今の自分もその構造から決して無縁ではない。

もしもっと直接的に歯車になってしまったとしたら、自分の心を守るために見ないフリをしてしまう気がするから、今はそういう環境に身を置かないという消極的な解決法しか見出せていないのだけど…。

でもとりあえず見ないフリをしなくても良い環境に身を置けているからこそ、消極的なりに本作のような映画やニュースなどに関心を寄せて、知ろうとすることはできる。

カスタマーサービス等を利用するときに向こう側にいる人のことを想像したり、荷物の配達員さんの労働環境が良くなるようにと願ったり配慮したりすることもできる。

自分がこの先どんな状況に陥ったとしても、立場の弱い人に当たり散らすような人間にだけはなりたくないな…。

本作がとても良かったのと、CINRAのチョン・ジュリ監督へのインタビュー記事も読んで、前作『私の少女』も駆け込みで拝見。

端的に、こおいう村、地獄…。

インタビュー記事でも言及されていましたが、ぺ・ドゥナ演じる警察官は『あしたの少女』でも『私の少女』でも、とても良かったです。

力を奪われる大きな組織構造の只中にいる人物として、一見全てを諦めているようにも思える淡々とした物腰ではあるのだけど、大事な最後の一点は手放さないというか。

それにしても大晦日に重い映画を立て続けに観てしまったため、すっかり脳みそが疲弊して、結局いつものように早寝してしまった。

2024年の映画初めは、シアターキノで『ファースト・カウ』の予定でっす。楽しみ!

(編)

 

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