青年団『ソウル市民』をクリエイティブスタジオで。

地味に初めての青年団観劇。

青年団のサイトから以下引用です。

1909年、夏。
日本による韓国の植民地化、いわゆる「日韓併合」を翌年に控えたソウル(当時の呼び名は漢城)で文房具店を経営する篠崎家の一日が淡々と描かれる。押し寄せる植民地支配の緊張とは一見無関係な時間が流れていく中で、運命を甘受する「悪意なき市民たちの罪」が浮き彫りにされる。

今ちょうど読み進めている『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』で、

1909年は義兵による抗日闘争が激化しているあたりで、(その抗戦を制圧したと日本政府が判断した1910年に、韓国を強制的に併合。)そういった時代背景を下敷きに拝見。

篠崎家の女中(朝鮮人の若い女性も二人雇われている)のお茶トークで無邪気に繰り出される差別発言は、対象が朝鮮人だけでなく、例えば沖縄出身の他家の女中へも向けられたりと、2023年の目で見ると結構キツイ。

日本人と朝鮮人の間だけでなく、日本人同士でも、本土と朝鮮、東京と地方、本土と沖縄、本土育ちの日本人と朝鮮育ちの日本人…などなど、多層構造の優劣関係があって、めちゃ生きづらそう…。

そんな中で先進的な「平等」とか「ヒューマニズム」という考え方に傾倒する長女でも、「朝鮮は文化的に劣っている」という上から目線からは抜け出せず、支配する側の人間の限界を感じた次第。

自分にはあの長女っぽい傲慢さがあるから、マジ気をつけないといけない。

劇中、朝鮮人の若い女中二人だけになるシーンがあって、そこでも二人は日本語で会話をし、通りかかった長男に「二人だけのときは朝鮮語で話せば?」と言われるのですね。

長男が去った後、片方は「私たちの勝手じゃんね」と言うのですが、そこは印象に残りました。

一方では抗日闘争に身を投じた人たちがいて、一方では圧倒的な優劣関係を前に少しでも「日本人らしく」いることを目指した人たちもいる。

本作の韓国公演では観客からどんなフィードバックがあったのかなと気になってアフタートークで質問してみたけれど、93年(だったかな?)の韓国での初演時は、日本での初演時と同様あまりに新しい形式に観客がついてこれず、内容に関する指摘はほとんどなかったと。

で、2017年(だったかな?)にも韓国公演をしたそうですが、そのときも否定的な反応はなかったそうです。

それを聞いて思ったのは、

以前『韓国学ハンマダン』を読んだとき、民主化運動に身を投じた女性活動家は、ステレオタイプ的な「英雄像」がある中で男性活動家ほど評価されなかったという指摘があったのですが、

おそらくこの辺の歴史も、昔は抗日闘争に身を投じた人たちだけが語られていたと思うのです。その時期に『ソウル市民』が従来の形式で上演されていたとしたら、多少は女中に対して否定的な見方も出たんじゃないのかな。

でも時間が過ぎて、そうではなかった人たちのことも語ることができる心の余裕が出てきた。

もちろん当時は抵抗する人たちが圧倒的に多かったとしても、親日家として生き延びようとした人たちや、抵抗よりも同化によって生き延びようとした人たちなど、支配される側のありようも一様ではないはずで。

ステレオタイプではない、「語られづらい人たち」を受け入れて認めることも、成熟度を測る一つではあるなと。

『ソウル市民』、アフタートーク含めてとても豊かな時間でした。青年団の札幌公演は、なんと22年ぶりなのだそうです。もっと頻繁に来てほしいものであります。

というか、豊岡演劇祭に行けばいいのか。行きたいな〜

(編)

 

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