NODA・MAP『フェイクスピア』を配信で。

作品詳細については、劇団サイトのintroductionからどうぞ。

配信の本編の後についていたトークパートで、野田さんが「コトバの一群」について、「Youtubeとかそういう場所ではなく、きちんと作品の中で残すべきコトバだと思った」というようなことを話されていて、私は本当にその行為の尊さを思いました。

死という大きな運命に抗おうとして必死で発され続けた30分間の「コトバの一群」に、あのような形で不意に私は対面することになり、心が震えたし、その動揺は翌日も、観劇から時間の経った今でも続いているのですが。

実際に劇場で観ていたら、もっと飲み込まれてしまって、大変なことになってただろうなあ、自分…。ふー

観劇後に何となく思い出したのが、『戦争・詩的想像力・倫理 -アイルランド内戦、核戦争、北アイルランド紛争、イラク戦争』の中で考察されていた、アイルランド・ダブリンのアベイ劇場のことで。

「ギリシア古典劇という時間を超えて普遍的な人間ドラマの装い」が、伝える意味は現代に通じさせながらも、「観客は芸術作品として作品性を意識することでいったん距離を確保しつつ、純粋にドラマの感情の真相へ近づくことができた」という部分。

私は今回、フィクションの中に突如現れたノンフィクションの言葉による再現に激しく動揺したのですが、しかし同時にそうやって組み込むことを尊くも感じて、この受容は時間が経ったからこその受容なのかもしれないな、と。

むき出しの現実をリアルタイムで反映した痛みを、リアルタイムで受け取っていろいろ考えることができるのは、そこに精神的な距離があるからなのかもしれません。(それか上の考察でも触れられていた強靭さがあるとか。)

だから、30年間この「コトバの一群」を温めてくれた野田さんには、マジ感謝したい。

配信してくれたこともありがたやー。

生鮮食品は産地に近いところで食べた方が美味しいのは決まってるけど、産地から遠く離れたところに暮らす人がそれを必要としている場合、「現地に来て食べてください」以外の選択肢が(味わいが多少違うものになったとしても)あるのは救いでもある。

「いつか現地で体験したい」という夢を見続けることもできますしね。

(編)

 

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