樋口直美『誤作動する脳』読了。

50歳のときにレビー小体型認知症(レビー小体病の一つ)と診断され、そのときは「5年後の自分がどうなっているのか全く想像できなかった」けれど、どっこい予想を裏切り、「たびたび誤作動する自分の脳とのつきあい方に精通し、ポンコツの身体を熟知して巧みに操り、困りごとには工夫を積み重ね、病前とは違う「新型の私」として善戦している」著者の記録。

幻視、幻聴、幻臭といった五感の変調や特殊な記憶障害について、自身の観察の様子が描かれているのですが、読めば読むほど脳の不思議をしみじみと実感。

と同時に、脳が誤作動を起こさず24時間フル稼働していることもすごいことなんだなあと感心してしまう。

匂いや味を当たり前に知覚できるということも、当たり前すぎてそれのない生活を想像したことすらなかったけれど、(最近になって、コロナの後遺症でそういうことが起こりうると意識したけれど)

多くの人にデフォルトで備わっている身体の機能って、本当にすごいんだなー。

にしても、例えば車の中に女の人が座っている幻視を見たときとか、心臓が止まるくらい驚きながらも、幽霊との違いについて考えるあたりのご本人の妙な冷静さとか、面白い…。

幻視や幻聴などの脳の誤作動が、昔は座敷童子や「狐に化かされた」みたいに語られたんだなーと思うと、脳の誤作動(=内部の要因)と捉えて自分で操縦する余地を探るのと、座敷童子や狐(=外部の要因)のせいにするのと、どちらも甲乙付けがたいなあ。どちらにも救いがあるというか。

ちなみに、著者が幻視について調べる中で「幻視はそれほど珍しい現象ではない」ことがわかったそうです。人の脳には幻視や幻聴を起こすスイッチが生まれながらに備わっているのですって。

「私は病気によって、そのスイッチに誤作動を起こしやすい脳になったのだと理解しました」と。なるほどなー。

あとハッとしたのは、「認知症」というラベルが付くと、何を言っても何をしても、すべて「認知症」の症状だと人からは見られることについて。

「認知症になると感情のコントロールもできなくなる」と言われますが、それは違います。ただ追いつめられているだけなのです。これまで数え切れない失敗とつらさを経験してきた私たちには、余裕がありません。「また気づかないうちに何か失敗するかもしれません」という不安を心の底に隠しながら、気を張り続けているのです。

だからこそ、その張りつめていた糸が、ちょっとした他人の言動でプツリと切れて感情が爆発してしまう。

でもな…

戸惑うような反応を示されたときに、それを「症状」と捉えることで周囲の人の気持ちが楽になる側面はあるのだと思う。

なのだけど、

何でもかんでもすぐに「症状」とラベルを貼って終わりにしてしまうと、当事者の不安が見えなくなる部分もあるんだなあ。深い…。

本を読んでて思いましたけど、割と自分にも当てはまる誤作動があるっちゃあって、私は未だに「きちんとした自分じゃないといけない」という気持ちが強く、なかなかそこを捨てられないのだけど

「いや、誤作動、するよ。」

と、少しずつそっちの自分を認めていきたいものであります…。

中村佑子さんの『マザリング 現代の母なる場所』を読んだときにも思ったけど、やっぱ、「普通はこうであろう」と社会に強固にイメージされているデフォルト機能をですね

フル装備していなくても気楽に生きていける社会の方が、絶対いいに決まってるんですよね。誰もが加齢、病気、事故でそれを失う可能性があるわけですから。

そういう社会に少しずつ近づいていくのにも、こういった当事者の声が大きな力になるんだろうな。

医療との向き合い方も含めて、今後の灯火になってくれるような一冊でした。この医学書院の「シリーズ ケアをひらく」、他にも読んでみたいなー。『在宅無限大』とか。(べてるの家についての本も結構ある)

『誤作動する脳』、おすすめの一冊なので、ぜひ読んでみてください〜。

(編)

 

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