第64回(2020年)岸田國士戯曲賞を受賞した、谷賢一さん(DULL-COLORED POP主宰)による『福島三部作』。(※同時受賞は市原佐都子さん『バッコスの信女―ホルスタインの雌』)
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2018年に第一部を先行上演、2019年にいわき、東京、大阪で3作品を一挙に上演し1万人以上を動員したという本作が、TPAMで再演かつライブ配信されるということで、いざ。
まずは第一部『1961年:夜に昇る太陽』。
61年は福島県双葉町議会が原発誘致を決議した年で、町長が住民を(人によっては現在価格で億単位にもなる、宅地込の移転補償金を持ちかけて)説得して回る、最初の住民となった穂積家の数日間を描いたお話。
東京大学で科学を学ぶ穂積家の長男・孝が「農家を継がない」ことを告げるために帰省した、翌日の夜に、家へ東電職員、町長、県職員が訪れ、原発建設のための用地買収の話が祖父へ持ちかけられます。(父は常磐炭坑へ出稼ぎに行っており不在)
母や次男の忠が何か意見を言おうとしても、祖父は「お前は黙ってろ」の一点張りなのもきつい…。唯一長男の孝に「お前はどう思う?」と聞くのだけど、家を継がない孝は「僕には関係のないことだから、何も言えない」と答えるんですね。
で、「覚えておけ。お前は、反対しなかったからな」と祖父は言い、土地を売ることを決意します。補償金額は、現在価格で約3億円。
でもこれ、61年の段階で、過疎地に暮らす住民で、貧しく、国や東電や町長がとんでもない額のお金を申し出て、「原発は安全」「これで町が発展するんだ」と言ってきたら、そりゃ私だって普通に賛成しますよ。
(ちなみに、50年代ですでに海外の原発でちょいちょい事故は起きているんだけど、これって全部後年になって公表されたのかな?国が事故を知ってて、それでも「原発は安全」としか言っていなかったのだとしたら、ホントひどいな。)
あと、原子力爆弾のこともまだ記憶に新しいこの当時、例えば母親が「でも原子力って危なくないですか?」と漠然とした不安を口にすると、東電職員(一人は実在の人物をモデルにしていて、広島出身)は原子力の平和利用を強調し、さらには「広島を知っている私が言うんです。原発は安全です」なんて言っちゃったりする。
こんな状況で反対できる人なんていなかったと思うし、賛成した人も、それまでなかった図書館ができたり、学校の校舎がきれいになったり、雇用が生まれたり、町がどんどん発展していくのを見るのは嬉しかったと思うなあ。
そして、第二部『1986年:メビウスの輪』
86年に至る前に、「73年6月、放射性廃液貯蔵庫から中レベルの放射性廃液が流出する原子力発電始まって以来の事故が発生」していたことを今知りました。
以下、大熊町職員労働組合によるレポートから

当時、東電は事故発見とともに、放射線で汚染した土壌を除去し、建物内にたまっていた廃液を含んだ水を処理した。しかし、この事故は大熊町に連絡されることはなく、町は共同通信記者の取材で22時間後に知ることとなった。

すでにここから隠蔽体質が…。ちなみに73年は美浜発電所でも事故が起きていて、関西電力も秘匿していたのが内部告発で明らかになってるのですね…。原子力基本法で「民主」「自主」「公開」の三原則にもとづくと定められているのに。
さらに1979年にはアメリカのスリーマイル島で原発事故も。
そうやって、原発の安全性への不安や不信が高まりつつある中、チェルノブイリで事故が起こる86年の双葉町を描いたのが『メビウスの輪』。うおー
第一部の穂積家での夜に、反対意見を言うけれど聞いてもらえなかった次男・忠が主人公で、実在した町長・岩本忠夫氏がモデル。
85年に下水道工事をめぐる汚職事件が起こり、原発を誘致した当時から22年にわたって双葉町長を務めた田中清太郎氏が辞職。
その後釜として、反原発のリーダーとして一度は県議会議員に当選するも、原発が稼働してからは落選続きの忠に白羽の矢が立ち、県議会議員の秘書・吉岡と、県議会議員で忠の師である男性が説得に訪れます。
吉岡の「原発をなくす夢物語ではなく、危険を正し、原発と共存する道を示すことができるのは、原発の怖さを知っている忠さんしかいない」という言葉に忠は出馬を決意し、当選するわけですが。
当時は電源三法による交付金も終了し、双葉町の財政が逼迫していた時期で。町の財政のために原発のさらなる増設が望まれていた中で、チェルノブイリ事故が起きたのでした。
記者会見の準備のために、吉岡も町長室に呼ばれるのですが、「万一に備えて原発を停止し、緊急点検すべき」と言う忠に対して繰り広げられる、吉岡の理論が悪魔的。
吉岡「たとえ万に一つでも、あなたは原発の事故の可能性を知りながら、安全でないと知りながら原発を稼働させていたのですか?」
忠「いや、今まではそうじゃなかったけど、チェルノブイリの事故が起きたから、万一に備えて点検をすべきでは…」
吉岡「万一に備えるということは、事故の可能性を認めるということですよ。さらに今原発を止めたら何十億という金がかかります。そんなお金が町にありますか。」
みたいな。
で、忠が記者会見で「日本の原発は安全です!」と繰り返すシーンがまた…圧巻だった…。

(この曲がさらに好きになりました。)
あと劇中「ダス・マン」という言葉が出てきて、よくわからなかったので、ちょっと検索。
判断を他人に委ねて逃避するあり方(非本来性)、他者に埋没したあり方が「ダス・マン(世人)」とこのページでは説明されていて
自分の正義を語ることを封印された忠は、ダス・マンだったのかな。戯曲が届いたら、第二部をもう一度読み込みたい。
それにしても。
「安全対策をするということは、原発が安全でないということだ」という、とんでもな理論がまかり通るような国に原発は設置するべきじゃないし、問題が起こっても隠匿するような企業が原発を動かすべきではない。
私はこれに尽きる気がするなあ。
東電経営陣の人たちが本当に意識を変えて、原発立地(周辺)自治体の被災した人たちにきちんと向き合って、今後を議論していくしか、ないんじゃないかなあ。
2019年の東電経営陣3名の刑事裁判では無罪になって、NHKの特集ページを読むと「刑事裁判は民事裁判とは役割が違い、組織ではなく個人の責任を問うものだ」という見解が紹介されているけど、個人が責任を負わない構造だから、いろんなことがないがしろにされていくんじゃないのかなあ。
弁護士の「原子力発電所という事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか」という意見の方が、よっぽど正しいと思うんだけどな。
自分自身、2011年以降の動きを詳しく追えていないから、ちょっと今後時間をかけていろいろ後追いしていきたい。
で、第三部『2011年:語られたがる言葉たち』
「2年半に渡る取材の中で聞き取った数多の言葉」を、役者の身体を通した「声」として聞く2時間で、私は、いろんな思いを抱えながら、でも今この時を生きている人たちに対する深い敬意が、ふつふつと湧き上がりました。
Cinraのインタビュー記事で、谷さんが「こういうスケールの災害にとっては、語り続けることだけが鎮魂です」と話していて、本当にそう思う。
あと

劇が進むにつれて、様々な理解と考えが進んで行くわけです。つまり演劇とは究極の他者理解、自分とは異質な存在を、どうにかして解釈したり受け入れたり理解したりしていく行為なんです。(略)その意味で、劇場に行くというのは、単に「楽しいな」とか「スリリングだな」ってことを体験するだけではなくて、それを超えて、人間も社会も変化していくための行為だと考えることができます。

という箇所も激しく同意。そう!そうなんですよ。Dael Orlandersmith『Until the Flood』を見たときにも書きましたが、演劇にはそういう性質がある。
そして、この三部作もまさに、演劇の性質が素晴らしく発揮された作品だったなあ。本当に、この作品を配信してくれたTPAMの皆様に感謝です。
で、上のインタビューで「原発と福島っていうものを追いかけていくと、日本の民主主義、戦後経済が何を豊かにし、何を貧しくさせていったかが見えてくる気がします」と語られていて、それはなんとなくぼんやりと頭に浮かびつつあるけれど、今後じっくり考えていきたい問いだなと思っています。
あと本作を見て思い出したのだけど、
1984年に大間原発の建設が決議されて、巨額の補償金額を提示されても土地を売ることを断った熊谷あさ子さんが建てた「あさこはうす」の凄さもしみじみと。(あさ子さんの死後、お嬢様の厚子さんが管理人をされているそうです。)
大間原発敷地内のほぼ中央にある「あさこはうす」の近況は、上のリンク先のツイッターや、2020年9月の「あさこはうす通信号外」なるものがWEBに載ってました。
原発、今は4基だけが稼働しているんですね。泊原発はまだまだ審査が続きそうだし、立地周辺自治体と札幌市も含めて、原発がなくなった後の町の収入の新しいつくり方みたいなこと、話されていたりするのかな。
走り出したら止まれない、を克服する方法を見出したいですよね。
この辺の取り組みも後追いだなー。ドイツとか。
(編)

 

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