間が空いてしまいましたが、見たものを。
1/1(金):お正月なので?嵐のドキュメンタリー『ARASHI’s Diary Voyage』@Netflix。
あの規模のコンサートの作られる過程を、ほんの少しだけど垣間見ることができて、興味深かったです。5人の個性の違いとか。
札幌でのコンサートを見たところで続きは中断してしまったのですが、最後はどんな感じで終わるのかな。コンサート後のご飯タイムで、大野さんがいくら丼を食べたときの満足そうな表情に、道民として「よし!」となった次第。
1/2(土):セバスティアン・レリオ監督『ナチュラルウーマン』@アマプラ
キノで上映されていたのを見逃していたので、こちらで。トランスジェンダーの歌手、ダニエラ・ヴェガ主演で、チリ映画として初のアカデミー賞外国語映画賞受賞作。
最愛の人を失った後、主人公に対する人々の偏見はむき出しになってくるけれど、ヴェガが演じるマリーナはそういった扱いに対して感情を表に出さずに、尊厳を持って歩んでいくことを止めない。その抑えた佇まいと歩みが印象的なのだけど、
立ちはだかる困難さを象徴するかのようなものすごい向かい風が吹くシーンのように、ちょっとしたファンタジーが時折挿入されて、それがこの映画に素敵な味わいを生み出しているなー、と。
最後に彼女が歌うアリアに泣けた…。(この曲)
1/3(日):Talawa Theatre Company『Tales from the Flont Line…and other stories』
アフリカ系&カリブ系のアーティストをサポートし、演劇を通して彼らのルーツや経験を共有し続けているTalawa Theatreのオンライン作品。
他者の語りって、今自分は新聞の記事くらいでしか触れる機会がないのだけど、文字ではなく、声を通してでしか想像力が飛んでいけない場所も、ある。
今はあまり国内のことにアンテナがはれておらず、出会う機会は少ないのだけど、そのうち国内のいろんな立場の人たちのコロナ禍における声も、演劇や映画、映像作品を通して聞く機会が増えていくのかな。
1/4(月):The Stan’s Cafe Theatre『For Quality Purposes』
インターネットサービスやクレジットカード、メンタルヘルス?等のコールセンター勤務の人たちと、そこに問い合わせるお客さんとの会話の片鱗をひたすら聞き続ける25分間。
コールセンターのスタッフの応答内容から、顔の見えないお客さんの発言を想像するのだけど、「できない」「困った」に直面し怒りや困惑を隠せないお客さんを相手にしていると思われるものから、鬱など精神的なしんどさを和らげようとしているようなものまで、様々で。
一日に膨大な数の電話を受けるスタッフたちの何かが削られていく感じ(一人が休憩中にもらす「今日は特にみんな怒っている」という一言とか)、かける側の人間である自分の心に留めておかねばならぬ…。
ちなみにこれを見たとき、今自分が受けているオンライン英会話の膨大な数の講師のことが浮かびました。彼らにしても、毎日朝から晩までびっしり分刻みで違う人間に応対しているわけですが、こういう状態ってあまり人にとって良いことではないような気が最近ひしひしと。
受講する側からしても、よく考えると、あまりに軽く「人を選んで評価する」という行為を繰り返していて、それに対してちょっと恐ろしさも感じる。
オンライン上の膨大な数と、リアルな身体が目の前にある状態での膨大な数、では、人の心に与える影響も異なってくるのだろうかー。これ気になるなー。
1/5(火):レッスンで気力を使い果たし、お休み。
1/6(水)〜1/7(木):街中の家の水道管破裂で気力を使い果たし、お休み。
1/8(金):The Egg『I Wish I Was A Mountain』
子ども向けの演劇を発表しているThe Eggが制作した、詩人でパフォーマーのToby Thompsonによる一人芝居。韻を踏んで語られる美しい流れのセリフと、彼が演奏するピアノ、さりげなく景色を変えていく舞台美術が素敵。
何より「I wish I was a mountain」というタイトルが素晴らしい。疲れた心に良い余韻を残す作品でした。あとでもう一回見よう…
1/9(土):キルステン・ジョンソン監督『ディック・ジョンソンの死』@Netflix
監督の母親は、7年前(だったかな?)に長い認知症の末、他界。その後離れて暮らす父親にも軽い認知症の症状が出始めたことを知り、いつか必ず訪れる彼の死と向き合うために、本人に出演してもらって様々な死のパターンを再現したり、父親が礼拝に通った教会と友人知人たちにも協力してもらって実施した(プレ)葬儀などを撮影したドキュメンタリー。
天国へ召される様子をユーモラスにマジカルに演出したシーンなど、遊び心ある映像表現も素敵。
なのだけど、そうやって撮影されている父親に、確実に最後の日は近づきつつあることも伝わってきて、お別れの準備をすることと、お別れの可能性がリアルに見えることは、やっぱり違うのだと思い知らされる。
それにしても
人間に対して元気だった頃の様子を基準に考えてしまうと、どうしても「失われた」と捉えてしまうのだけど、それは何か違うような気もしています。
例えば親が記憶やさまざまな身体の機能を失っていくとき、「親」という気持ちは一旦後ろに置いて、自分を大切に育ててくれた「他者」として出会い直せばいいのかなあ。実際、自分はどれほど親のことを一人の人間として知っているかと言うと、ほぼ知らないに等しいですし。
まあ、現実にはいろいろ困惑させられることも多いだろうし、そんな単純な割り切りはできないと思うけど。それでも、「これはこういう演劇だ」と思うようにするとか。
うーん、いろいろ考えてしまいました。
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