イギリスの児童文学賞のカーネギー賞とケイト・グリーナウェイ賞をW受賞した名作、Patrick Ness『A Monster Calls』(邦題:怪物はささやく)を、The Old Vicが舞台化。

全編はこちらから。日本時間の12日(金)3:00までの公開です。
以下、原作の内容紹介から。

真夜中過ぎ、墓地にそびえるイチイの大木の怪物がコナーのもとに現われて言う。「おまえに三つの物語を話して聞かせる。わたしが語り終えたら、おまえが四つめを話すのだ」母の病気の悪化、学校での孤立、そんなコナーに怪物は何をもたらすのか。

怪物が語る物語は、一方から見たら「善」だけど、もう一方から見たら「悪」になる人間の感情や行いに関するもので、「人間というものは、常にその狭間にあるものだ」と。
さらに自分が捉える世界は、あくまで物事の一面でしかない、という部分も、少年から見た祖母と、少年の外の世界としての祖母と母親の関係性みたいなところから伺えました。
少年が悪夢にうなされるのは「喪失」に関する矛盾する気持ちが原因で、その気持ちに向き合うために怪物が現れるのですが。
母親の死が目前に迫り来る中、追い詰められてやっと「四つめ」を吐露した少年が、怪物に「なぜいつも12:07にやって来るの?」と質問するんですね。怪物はそれには答えないのだけど、ラスト、少年が祖母と一緒に母親の病室を訪れたときの時計の時刻を見た瞬間、こみ上げるものがあったなあ。
本作は、現代サーカス作品でよく見るエアリアル(空中パフォーマンス)を取り入れながら、シンプルだけどアーティスティックに形を変える舞台美術、Benji Bowerによるクールな音楽とで、ファンタジーの世界を素晴らしく舞台化していて、いやー、よかった…。
ちなみに映画化もされてました。

映画版も見たい。
※6/11追記:映画版の方は、舞台版で描かれなかった母親の死後のエピソードがあって、それにもグッときました。こちらは日本語字幕で見たので、「あの言い回しはこういう風に訳すのか」ってことも確認できて良かったな。
私はもう大人だし、自分の中の矛盾にも自覚的でいようと努めているけれど、そういう自己理解に収まりきらない感情があることも実感しております。特に今、(猫の)喪失という過程の真っ只中にいるし。
人って、やっぱ、言葉で説明できることの「間」に常にあるもので、決して一つの形として定まることのない感情だったり存在そのものだったりを丸ごとそのまま受け止めてくれるのが、自然や芸術なのだという気がする。
ということを
イチイの大木ならぬ、カツラの大木を眺めながら思った次第。

大きな木が身近にある環境に身を置けていることは、結構自分を救っていると思うなー。木は偉大っす。
(編)

 

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