★クマグスクで読んだ岡本源太さんの小論文集から。
「人間は自らをイメージとして変換し、その都度、他人や世界と別様の関係を取り結ぶ」
「自然の中で人間と非人間が、イメージという普遍的な翻訳を介して、やり取りしてきた無数の関係」
「人類に普遍的なものが見出されるとすれば、人間も世界も跨ぎ越えていくイメージに他ならないように思う」
「イメージに囚われてしまう想像力の受動性と、すべてを意味づけてしまう主観の全能性」
「作品は何を考えているのか」
「世界の複数性」
★移動中に読んだ、エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』から
人間の取るに足りなさとイデオロギーの暴力について。
「信念それ自体は弱いものであっても、すでに十分広範な社会的グループによって担われていると、個人が特定の人との会話でいったん考えを覆しても、会話が終わればまたその社会グループに戻っていくように、やはり元の信念に立ち返ってしまうのである。」
「個人の信念としてはもはや痕跡程度の状態か、あるいはもうまったく存在しなくなっているのに、それでも永続していく「集団の信念」の存在」
「個人は弱いのに、システムは強い」
↑このシステムについて、MOTマニュアル2016『キセイノセイキ』の、アルトゥル・ジミェフスキ《繰り返し》で、
看守役を演じることになった人が、「最初は楽しんでいたけど、演じることでシステムに組み込まれた瞬間からおかしくなっていった」みたいなことを話していたのを思い出しました。
(編)
 

 

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