プロジェクト・アイランド『アイランド -監獄島』をシアターZOOで見てきました。
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昨年のTGR札幌劇場祭2014 大賞受賞作です。
南アフリカ共和国の劇作家アソル・フガードによって書かれた本作は、人種隔離政策のもとネルソン・マンデラ元大統領などが収容されていた、ケープタウン沖合のロベン島にある強制収容所を舞台としたお話。
演出はソ・ジヘさん。
※この方、今年のF/T連携プログラム「アジア舞台芸術祭」(プロデューサーはSPACの宮城聰さん)で上演された、『黄金のごはん食堂』の演出もされた方だったのですね。
『アイランド』の登場人物は、反体制団体に加入し演劇に参加した罪で10年の刑を処せられたジョンと
デモ隊と一緒に警察署の前で通行証を燃やしたという嫌疑で無期刑に処せられたウィンストンの二人。
刑務所の行事で、ジョンはギリシャ悲劇『アンティゴネー』の「兄を埋葬するという肉親への情と宗教的義務を貫いたアンティゴネーが、国家の定めた法律のもと罰せられる」裁判シーンを上演しようとし、
ウィンストンにアンティゴネー役をお願いします。
去年見たときは、当初ウィンストンがなぜアンティゴネー役を頑なに拒むのか、また、どういう心の変化で演じる気持ちになったのかが、ちょっとよくわからなかったのです。

今年思ったのは
ウィンストンは「無期懲役」という絶望が自身を侵食していくことに怯え、自身の行為を後悔し始めていたのではないかと。(人種差別に抗議しデモに参加したことなのか、あるいは通行証を燃やしたことなのか、はわからない)
それゆえ「有罪」という言葉は彼を脅かしたし、例えそれがアンティゴネーの台詞だったとしても、その言葉を口にすることが耐え難かったのではないかと。
人間として正しい行為、つまり魂のもとに無実だったとしても、それを国家が「有罪」とみなすとき、自分の行為をいつまで信じていられるのか。
刑期が3カ月に縮まったジョンとは対照的に、自分はこの先、完全に希望を失い、なぜここに来たのかもわからなくなっていくかもしれない。
そのことに対する凄まじい恐怖の中、
でも、ウィンストンは
アンティゴネーの言葉を通して「自分の行為は、魂のもとに正しかったのだ」と、失いかけていた誇りを取り戻すことを選びます。
彼がアンティゴネーの衣装を手にとってジョンに向き合ったとき、
ああ、もしかしたら演劇というものは、人間がこうやって誇りとか人間性を取り戻すための手段として、必要とされてきたのかもしれないなあ
ということを思ったのでした。
最後、「この糞みたいな特権!」という言葉とともに二人がエネルギーを噴出させたとき、
私は日本と韓国の歴史に思いを馳せずにはおられず、
あのすさまじい憤りに、果たして日本人は向き合ったことがあるのだろうかと思ったし、
あれだけのエネルギーを放つことのできる精神を宿した身体を、日本人は持てているだろうかとも思いました。
昨年私は本作について、「とても力強く素晴らしい作品だったけど、やっぱり自分の足元は揺らぎませんでした。南アフリカでの抑圧の歴史、人種差別の歴史と、現代日本とのリンクについては、公開審査会でも話題になり、うまく今の社会と結び付けて自分ごとに引き寄せた人もいれば、そこがうまくいかなかった人もいます。
もし、同じテーマで日本とアジアの国との歴史を描いた作品だったなら、私の足元は揺らいだかもしれません。」なんて書いたけど、
なんとまあ貧弱な感性と歴史観だったことか…。
今は、アジアの歴史を学び直しているところです。
まだ自分の言葉は見つかっていないけど、この「何も言えない」を乗り越えたとき、最後二人が見せてくれた力強い踊りに、自分も混じることができるような気がするなあ。
本当に昨夜は震えました。
素晴らしい作品体験でした。
ふー。
(編)
 

 

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