月曜日は、劇団可変『王女メディア -無惨なメディアの詩』を見にシアターZOOへ。

画像引用元 http://www.s-artstage.com/2014/tgr2014/list/kahen/

画像引用元 http://www.s-artstage.com/2014/tgr2014/list/kahen/


「ギリシャ悲劇『王女メディア』と、チリの作家アリエル・ドーフマンが「王女メディア」を取り入れて書いた『煉獄』という作品が融合した現代劇」(作品紹介より)。
2013年ソウル演劇祭の次世代演出家コンクールで最優秀作品賞と演劇賞を受賞した作品とのこと。
舞台の左側には床全面に水が満ちていて、中央には米がこんもりと。これには「生命の維持や誕生に必要不可欠なもの=女性の象徴として配置」という意図があったのだそうな。
※本作について、シンポジウムで語られた一部をシアターZOOさんがツイートしてくれているので、興味のある方はのぞいてみてください。
メディアが自分のお腹の子どもに「異物感」を抱き、自分のわからないものを宿したことに不安を感じているのは、夫の関心が子どもにしかないってあたりも大きいのだろうなー。
夫の子どもへの執着は、米の中から後半次々出てくる使用済みコンドームが表していたのかな?(道具としては逆の意味な気もするけど)。
 
妊娠、出産が無条件に素晴らしいことだと言われてもホッとするし、逆に妊娠、出産の「足枷」が前面に出ているものに出会ってもホッとする。
だから私は、最後のメディアのふるまいと、高揚する音楽に、たいそう解放感を味わいました。
とは言え、その解放感は、
裏を返せばそれだけ強く束縛されている(あるいは望んでいる)ということでもあり、常に裏表を行き来しながら女性は生きるしかないのでしょうかねえ。
いやはや。
あ、最後の演出は本当にクールでした。
(編)
 

 

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