今回の遠出の目的は、3つの演劇作品を見ることで。
一つはポツドール『夢の城』、もう一つはイキウメ『The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)』、
そして作:エルフリーデ・イェリネク/演出:三浦基(地点)/音楽監督:三輪眞弘、による『光のない。』です。
ポツドールとイキウメは、『東京演劇現在形』という本で知って以来ずっと見てみたかった劇団。(というか、この本で紹介されていた劇団は、いつか全て制覇したい)
さて。
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2006年の初演以来海外での再演が続く『夢の城』は、会場配布の小冊子で、ご本人のインタビュー+上の本の著者である岩城京子さんによる素晴らしい解説文も拝見。
それはそれとして、自分が感じたことを少しだけ。
本作品、男女8名が共同生活するアパートの一室を、深夜に窓から覗き見している感覚で始まるのですが…
ガラス一枚あるおかげで、目の前で起こる暴力やセックスから現実味が抜け落ち、妙に冷静に眺めている自分がおり。(受け止め方に個人差があるとは思います)
これちょっと怖いなと。
自分の目が、ガラス一枚あるだけでカメラの目になってしまうことに改めて気付かされまして。仮に、窓越しに目の前で事故が起きたとしても、それすらフィクションに見えてしまうのだろうか…この感覚、おそろしや。
話戻り。
敷きっぱなしの蒲団や洋服、食べ物、ゴミが散乱する部屋の中で、会話もなく、本能の趣くままに暮らす彼らの様子は、解説文に「希望も目標も尊厳もなく、だらだらと人生を送る若者たちの“魂の腐臭”を描写」とあります。
私はそこに、「今」という圧倒的に短い時間軸しか持てないことの残酷さを、ひしひしと感じたのでした。
今の自分につながる脈々とした時間の流れは断絶し、未来もない。ただ繰り返し訪れる「今日」しかない。
紡がれる時間のない日常の中では、大きくなってしまった身体はただ重いだけ。
でも時々、彼らが生まれたときからの時間を感じさせる瞬間もあって、その記憶を呼び起こす装置として有効に使われていたのが「音」でした。
朝のドライヤーの音やニュース番組の音、包丁で刻む「トントントン」というまな板の音、アニメの主題歌…そういう音を聴いたときだけ、彼らが穏やかに人間くさくなるのが、とても印象的で。
「ひどい」としか言いようのない女の子が、まな板の音を聴いた後おもちゃ?のピアノを演奏し始めたときなんかは、大事にされていた子ども時代を彷彿とさせるものが。
何と言うか、本作品に、いつの間にかとても短い時間軸しか持てないようになってしまった日本人の、究極の姿をかいま見たような気がしつつも、
最後のある種タフとも言える現金さ、滑稽さに、つくり手の愛を感じたのでした。
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ちなみに、暗転のあと客席が明るくなり、ガラスには私たちが映し出されたのです。
続々と席を立って帰っていく観客の様子を見ていると、「消費」という言葉が浮かんでしまうわけで。
結局は、自分もすぐに立ち去ったのですけども。
(編)

 

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