午前中、仕事が切れたタイミングで、いざ街中へ。

まずは茶屋すずわ。

浅蒸しの茶葉を購入。そして今年お初の新茶をいただきました。

良い…。

お次はご近所にある茶町KINZABUROへ。茶町という地名は江戸初期に茶商が集められたことから、だそうです。ここでは変わり種っぽい白玉エスプーマをチョイス。

イートインには10種類の無料試飲茶があって太っ腹…!

ぶらぶら歩きつつ、ちょっと勇気がなくて入れなかった店↓なんかもありつつ。

あとポストモダン感を漂わせつつ、なかなかに植物に侵食されているビルや、

リズム感が楽しい団地なども眺めつつ。

宿の近くのヒマラヤンマートでモモをテイクアウトしつつ。

この日は静岡芸術劇場での観劇だったので、観劇前に隣の駅近くにあるアートブックりぶらりおにも。

店内に好きな感じの絵が飾ってあって、作家名を聞きつつ、ギャラリーをいくつか教えてもらえて嬉しい。あと野口理恵『私が私らしく死ぬために 自分のお葬式ハンドブック』もゲット。

こちら↓は途中にあったオレンジの木。

めちゃ良い香りがした〜。

そしてティアゴ・ロドリゲス『<不可能>の限りで』

劇中、アマリア・ロドリゲスの『恐れ』が歌われるシーンがあるのだけど、

あのときにひたひたと迫ってきたものを前に、言葉を失ってしまった。

それはそれとして、本作で語られることの過酷さ、複雑さ、そしてそれが演劇として目の前に出される時の圧倒的な術について、演劇話の会で分かち合いたかったなああああああ。

と思っていたら、翌日に相馬さんのこのツイートが目に入ってきまして。

無自覚と自覚の狭間にいる自分は、上↑で語られていることの前半は他者と共有し、後半はこれから自分がどうすべきかよく考えないとな…と(言葉を失って)考え込んでしまっていたことでした。

逆に言葉にして語れることは前半で、後半は自分が今後どう行動するかという問題だから、他者と共有することではない、とも思う。

もちろん自身の行動を他者と共有すべき人たちもたくさんいるし、そういう人たちのおかげで自分も変化してきたのだけど、自分個人の行動はSNSで語るようなことではないな…と思った次第。

こういう作品を観てしまったら、観る前の自分には戻れないですよね…。ロドリゲス作品、本当に観れて良かったです。

そんなこんなで4日目に続きまーす。

※SHIZUOKAせかい演劇祭2025のブログはこちらにまとまっています。

(編)

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