札幌市こども人形劇場こぐま座による、中島公園を舞台にした野外人形劇・ピクニックシアター『コロポックル・シンパヤ〜中島公園イネップ物語〜』。

は、チケットが完売していて見れなかったのですが、最後にこぐま座前特設ステージで開催されるスペシャルエンディングは無料で開放されていたので、そちらを。

これまでに創作してきた作品のダイジェスト的な。コロポックル・シンパヤがそういうお話なのかな?

数々の美しい人形と、それを演じるたくさんの子どもたち(&大人)を見ていると、こぐま座&やまびこ座が札幌で育んできたものは、豊かだなあ…としみじみ。

最後にこぐま座の屋上に現れたフクロウは、神々しくてめちゃ格好良かったです。

(光の加減できれいな色味が再現できてないのが残念!)

終演後、沢さんとも超久しぶりに話せて嬉しかったな。

夜はシアターZOOであごうさとし×能政夕介『フリー / アナウンサー』。

冒頭、アナウンサーの発話の変遷を興味深く鑑賞しつつ。あの発話の型も、どうやって出来上がっていくのかを考えてみると結構不思議。今のニュースでも、昔の発話で読まれると昔のニュースみたいに頭に入ってくるのが面白かったです。

そして、後半は「自己確立」というキーワードで考えながら眺めていたのですけど、今思うと、型というのはその時々の社会の需要というふるいにかけられ淘汰された結果として残って出来上がっていくものだから、まずはそこに自分をはめ込んでいく作業があって、

芸の場合はそこから極める過程で確立された自己がにじみ出てきた結果、国宝とかそういう感じになっていくのでしょうけど

これを芸ではなく社会生活を送る個人に当てはめてみると、型は社会の規範や、それに伴う抑圧というものになって、そこに自分をはめ込めない人は苦しい思いをするわけですよね。

しかし、その時々の社会の需要で「そんな型はおかしい」という声が大きくなれば、残る型は変わっていくかもしれない。

型どおりの人間と、型に疑問を持てる人間の違いは、自己確立にあるのかもしれません。淘汰された結果としての型は強力だから、その上自己確立だなんて…という茨の道ではあるのだけど、

自分の感じた小さな違和感や疑問にきちんと向き合って、自分という人間とその現在地を理解していくプロセスなしに自己確立はないし、そうすることで型から一歩はみ出す勇気や、変えていこうという勇気が生まれてくるのではないかと。

と、社会生活に置き換えて考えていたら、本作の最後で能政さんが濁点なしで話し続けるシーンがストンと腑に落ちたというか。

わかりやすさや正しさという型からはみ出した「にこりなきフリーアナウンサーの能政夕介」は、能政さんが自己確立を探求していく宣言のようでもあるし、私たちへのエールのようでもある。

エールだと思うと、最終的にご神木になった能政さんにお賽銭を投げて自分がした願い事は、結構自分のために正しい願い事だった気が。

うん、良い観劇体験だったな。

(編)

 

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