お次は北千住BUoY へ。
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いきなりカフェメニューが気になる。読み上げるコーヒーとはなんぞ。
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聞くと、劇作家などがつけたコーヒーのタイトルからイメージされたコーヒーとのことで、私はカゲヤマ気象台さんによる「これ以上は悪くない私のふるまい」をチョイス。読み上げました。
カフェ、素敵っす。
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ここでは、シアターコモンズのプログラム、小泉明郎さんの映像インスタレーション『私たちは未来の死者を弔う』を。
約50分の映像がループ上映されるのですけど、私は13時の上映開始冒頭から拝見。
個人と集団の間に生まれる「儀礼」を考察するワークショップとして、アルバイトとして公募された20代の参加者達と行った2日間の成果発表を撮影したもので、シアターコモンズのレポートブックを見ると、
1日目は小泉さんがテーマにしている自己犠牲、共同体における感情などの理念的なレクチャーがあり、特攻を扱った作品を鑑賞。
後半は現役自衛官の方のお話を聞いて議論を重ね、最後に「私は〜のために命を投げ出します/投げ出しません。なぜなら〜だからです」という定型文を各自が埋める。
翌日に小泉さんのシナリオと演出に沿って、英雄、兵士、祭司という3つの役に分かれて演じる、というもの。
とりあえず当日は、上記の背景を知らない状態での鑑賞でした。
映像には冷たい雨が降りしきる中での儀式が映し出されていて、雨が降ってるのか晴れているのかで印象もだいぶ変わったと思うと、わざと雨が降った日を狙って急遽撮影実行したのかなーと思ったりもしたのですが、たまたま豪雨だったみたいで。
結果としてその過酷な状況が、参加者に与えた影響(引き出された演技)も大きかったようです。
「何かを守るために自身の命を投げ出すのか」という問いに対する参加者の答えは様々で、その表明をした英雄には一様に奇跡が起こるのだけど、ある瞬間から時間が巻き戻って(映像が逆再生して)いくんですね。
それまでの時空間が反転していくことで、今まで見ていたものがまるきり異なるもの、異なる光景となって目の前に現れ、
全ての言葉は異質な言語に変わり、奇跡と呼ばれる現象は暴力的な行為となって、死が繰り返されていく。
「意思のある言葉」だったものが、「意味をなさない(無力な)言葉」となって吸収されていく。
その過程は、感覚的になかなかのものでした。
そうして、映像はまた最初のシーンからスタートするのですが、それは同じ光景であって、自分にとっては決して同じ光景じゃないというか。
さらに、(自分にとって)反転する後半から見始めた人にとっては、(自分にとって)元の時間が反転に値するのだと思うと、ひゃー、ぐるぐるぐる。
ちなみに私は、自己犠牲を強いる人や強いられる状況・構造といったものからは、とおおおおおおおく距離を置きたいタイプです。
 
(編)

 

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