書肆吉成池内店で個展開催中(3月10日まで)の大友真志さんと、露口啓二さん、谷口雅春さん(司会)のトークがあるというのでお邪魔してきました。
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写真関連のイベントからは久しく足が遠のいていたのですが、写真を見る行為を豊かにしていきたいなーと思い始めていたことと、谷口さんはどんなことに興味を持って話を聞いていくのかなーということに興味があり、いざ。
結果としては、おおいに好奇心を刺激されたトークでした。
写真を見るとき、ポートレートなら自分の場合、表情や身体、佇まいみたいなところを入口に見ていけるようなところがあって、
風景写真も、昔の街並みを見るのはシンプルに発見があるし、そんなに時間を感じさせないものでも何か違和感やおかしみ、日常の匂いみたいなものを捉えたような作風のものだと、なんとなく自分が接してきたものとの共通点というか、そこをとっかかりに向き合えるような気がするのだけど
そうじゃない風景写真を前にすると、自分にとっての手がかりがなさ過ぎて、でも何かがあるような気がしつつ「ああ、それに辿り着きたい…」と思って終わる、ということを繰り返してきた歴史があり。私にとって、大友さんの写真は後者の写真なのでした。露口さんの写真もそう。
で、
トーク周りのあれこれから、入口をいろいろ発見できたわけですが(ロラン・バルトの『明るい部屋 -写真についての覚書』を読もう、とか。)
興味深く拝読したのは、吉成さんからご提供いただいたこちらの解説文。
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大友さんが2016年に北海道文化財団アートスペースで展示をした時のもので、平倉圭さんと倉石信乃さんによる論考が掲載。
平倉さんの文章にあった「(略)大友の写真には、中庸な生活における気品(grace)のようなものがある。」という言葉も面白いなー。その「気品」が、私にとっての手がかりのなさにつながってるのかな。
そして倉石さんの文章は、自分の思考回路に100%ない道筋で大友さんの写真に迫っていく感じで、こんな道筋もあるんだなーとめっちゃ刺激を受けました。
「春の花に導かれて想起されるのは」田本研造の《平岸村開拓の景》とか。こんな感じの想起の回路が少しずつ自分にもできていったら、楽しいだろうなあ。向こう側が眩しい…
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↑注釈の写真がだいぶ前に買った『photographers’ gallery press』に載ってて嬉しい。ちなみに大友さんは編集責任とクレジットされてて、それも驚き。素晴らしい仕事じゃないですか。
俄然、長万部での写真フォーラムと展示も見に行きたくなってきました。誰か行く人いないだろうか。
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ちなみにこの日は、メタ佐藤さんと久しぶりにお話できたのも嬉しかったっす。

(奇遇にもお揃いのジャケットを着た)大友さんと佐藤さんの話を、横で立ち聞き。撮る人ならではの気になるポイントとか、そおいうやり取りのお裾分けをしてもらった感。面白いなあ。
あと、「山音文学」のことも教えてもらいつつ。
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読むぞー。佐藤さん、ありがとうございました〜。
熊といえば、ここ数日は姉崎等さんの『クマにあったらどうするか』を読んでおりまして
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「クマの足跡を見つけてクマを追っていくうちに、山の歩き方やクマの行動などを全て学んだ」と話す姉崎さんにとって、クマが師匠なのだそうです。
「クマが私に山のすべてを教えてくれた」って、素晴らしいな。
話戻り
今年は写真を見る時の回路も少しずつ増やしていくぞー、とやる気を出して書肆吉成池内店を後にし、お次は冨田美穂展が開催中のらいらっく・ぎゃらりいへ。
続きは次に書きまーす。
(編)
 
 
 
 

 

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