先週は火曜日から、TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)目当てで東京に滞在していました。
TPAM2017メインチラシ_16omote_fin
初日の夜は、アピチャッポン・ウィーラセタクン『フィーバールーム』を。
Fever-Room-08
話題の的になっていたのは、主に上の写真のレーザー光線とスモークによるとんでもない演出部分で、これは確かにすごかった…
のだけど、前後の流れからなんとなく独立しているようにも感じる演出で、この部分だけを言うなら、体験としてアトラクションを楽しんだような感じに近かったかなー。
以前、「暗闇の中で、特別な人間を物語化して祝祭するという原始的な宗教体験が、複製芸術として現代にアップデートされたもの」が映画で、
「暗闇から、他者の肉体と同期的に光を見上げることほどの信仰体験は、現代において映画以外にもはやない」みたいな文章を読んだこともあって、
『フィーバールーム』では、光のスクリーンが降臨してくるとき(1面から4面に増えていく)や、光と夢の関係を示唆する一言の方にテンションが上がりました。
読みかけになっていた『アピチャッポン・ウィーラセタクン -光と記憶のアーティスト』も、続きを読みたい。
でも本作品はTPAM期間中、各国から訪れている舞台芸術関係者の話題に上っているのをいろいろな場面で耳にして、(捉え方がさまざまで興味深かった)
映画、美術、舞台芸術の間(はざま)に出現したような作品だっただけに、どこに軸足を置いて見るかで受け止め方が変わってくるのだろうなーと。
私は舞台芸術に軸足を置いて見たので、アトラクションぽく感じてしまったのかもしれません。じゃあ、自分が舞台芸術作品に求めているのはなんなのだろう?
ってことを考えるのも楽しかったです。
(編)
 

 

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