続いて一気見してしまった『UNBELIEVABLE』。

2015年12月、NPOメディアのプロパブリカ(ProPublica)とマーシャル・プロジェクト(The Marshall Project)とのコラボレーションによって発表され、ピューリッツァー賞に選ばれた記事『An Unbelievable Story of Rape』をドラマ化したもので、レイプ被害を訴えた10代の少女がウソの証言をしたとして罪に問われるという実話に基づいたお話。
これ、かなり自分の思考プロセスについて考えさせられました…。
レイプ被害を訴えたマリーは過酷な環境で育った過去を持つ少女で、ドラマの中にも元養母が二人出てきます。元養母はどちらも過去に自身が性犯罪に遭っており、だからこそマリーの気持ちがわかる…と当初は考えるのですが、
レイプ後のマリーの反応(平然としているように見える)は、彼女たちからすると理解に苦しむもので。
性犯罪に遭った時の自分と比べてあまり苦しんでいるように見えないマリーと、これまでの彼女の問題行動が結びついた時、元養母たちの脳裏に「ひょっとして、注目を浴びたいがために嘘をついているのでは?」という疑念が浮かぶんですね。
その疑念を刑事に伝えると、もともと現場に証拠がほとんど残っていなかっただけに、男性刑事たちの考えも「嘘」に急速に傾き、マリーの証言の矛盾を指摘。嘘をついたのかと問い詰め、マリーも「夢だったのかもしれない」「私はウソの証言をした」と罪を認めることに。(なんとその後、虚偽告訴罪で有罪に…。)
まずここまでが1話目。
2話目では、そこから3年後、別の街で起きたレイプ事件からスタート。今度は女性刑事が担当しており、現場に駆けつけて被害女性から話を聞くことに。
しっかりとした口調で、起こったことを詳細に刑事に話す被害女性を見て、1話目からの流れで見ていた自分の脳裏に「え?彼女も嘘をついているのかな?」という思いがよぎったのですが、もちろんわかりやすく表に出てこないだけで、被害女性の語ったことは真実であり、女性刑事の捜査が始まるわけです。
これって、ちょっと恐ろしかったというか、
「レイプ被害に遭った女性は取り乱しているはずで、こんなにしっかりとした口調で詳細を刑事に話せるはずがない」という、全く思い込みでしかない「レイプに遭った被害女性像」が自分にあったことに気づいたというか。
もし私が刑事で、自分のイメージする被害者像と異なる被害者が現れて、現場に証拠がほとんどなかったとしたら。それはもう「嘘をついているのでは?」と疑うコースですよ…。やばすぎる。
それで、後半になって、マリーの証言と酷似したレイプ事件がニュースになった時、元養母たちも「あれは事実だったのか?」と動揺します。個人的には、こおいう時も人の防衛本能というか、そうすべきだったと自分を納得させられる理由を人は見つけることができるんだなあ、と。
だって、自分が犯した過ちを認めるって、内容によっては辛すぎますもんね。その思考プロセスも、よくわかる。
印象的だったのは、マリーがカウンセラーと話す場面。
「どんなに相手が自分のことを気にかけてくれているとしても。語られる事実がその人にとって不都合であったり、その人の考えるものと異なる場合、その人は自分のことを信じない」とマリー。
それで、私の記憶ではカウンセラーのセリフに「全ては現れている。重要なのは、どう問うか」というものがあった気がするのだけど(ハッとしてメモったセリフなのだけど)、今見直しても該当場面を見つけられない…。誰のセリフだったんだろう?一瞬夢でも見たのかな?
でも、とにかく「全ては現れている。重要なのは、どう問うか」は、めっちゃ本質を突いているなあ、と。
レイプ後のマリーの反応一つ取っても、それを元養母の経験と照らし合わせて考えれば「嘘」になっちゃうし、「人によって異なる反応が出る」ことを知っている女性刑事にとっては「真実」になるし。
「現場」にしても、そこに残されたもの(残っていないもの)に対する問い方次第で、証拠へとたどり着けたりもする。
人は納得したい生き物だから、パッと頭に浮かんだことを安易に結びつけて導いた結果に固執してしまうこともあるし、自分を例にしても「思い込む」ことなんてしょっちゅうある。
でもそれは、思考の癖としてかなり意識的でいないと、危ないな。
いやー、ネットフリックス、良い脚本を書くわ…。
『UNBELIEVABLE』、8話完結のリミテッドシリーズなので、休日のお供にぜひ。
(編)
 
 
 
 

 

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