飴を齧るな。の後は、近美に向かって、まずは深井克美展
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WG13号で吉田ひでおさんにインタビューした時に、深井克美さんの名前が挙がっていて知ったのが初。その時に作品集で見せてもらって以来、ようやっとの作品拝見です。
彼が描く生き物はグロテスクだけど、その背景にある世界や、そこに差し込む光はいつも美しい。そうやって初期から眺めていった時に、最後の「未完のランナー」パートに胸を打たれました。
見れて良かったなあ。
その後、講堂で開催されていた映像ミュージアム2019「映像ネットワークVIEWの時代」へ。
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「映像ネットワークVIEW」とは、「福岡の福間良夫・宮田靖子、京都の櫻井篤志、東京の水由章、山形の加藤到、札幌の中島洋らを中心として1988年に誕生した」8ミリ、16ミリ、ビデオなどによる映像表現を軸とした作家たちの全国的なネットワーク。
国内外との交流や巡回上映、共同制作、合宿WS型のフェスティバル開催など、90年代後半まで活動。インターネットが普及する前の時代に、人の交流を生む有機的な出会いの場を作ったとして評価されているそうです。
今回はそのVIEWの活動と、80〜90年代の個人映画の創造を再評価する企画とのこと。それにしても近美の映像ミュージアムは、毎回入場無料でこの充実の内容…太っ腹!(しかも91年のカタログまで付いてきて驚き。)
私が見たのは、80〜90年代初期に札幌で撮られた個人映画のセレクション「イメージ・ガレリオ プログラム」。洋さんや麻生栄一さんなど、これまたずっと話にだけ聞いていた作品が上映されるレアな機会ということで、いざ。
1作目の山崎幹夫さんの『TBXノイズ編』が、いきなりクーーーーール。特に音楽が超格好良かったのですけど、ご本人の作品解説によると

1秒から2秒単位でカットを切り刻み、テレビ画面撮りした戦争の映像や皇室の映像を挿入したもの。その暴力的なイメージとリズムが評価されたわけだが、音楽に頼る部分が多かったと思う。音楽は1981年8月、日比谷野音で行われた『天国注射の昼』で勝手に録音したもの。使用許可を取りたいが、いまだにバンド名がわからない。初公開の時、思い切りボリュームを上げて映写したら、観客の中で大喜びして椅子に火をつけようとしたキ×ガイがいたそうだ。映画ってのはそれだけ人を煽動する力を持っているんだと驚いた。

とのこと。すごー
吉雄孝紀さんの『ことに』は、二度目の鑑賞(1回目は第2マルバ会館の第1回上映会で)。これ、2日間のリハーサル後に長回しの一発どりで制作した作品とのことですが、観ている側からすると、女子高生が演技なのか、ハプニング?でリアルが混じっちゃってるのかが本当にわからなくて、
そんな状態で、男子高生が「冗談だよ、お芝居!」とか「何この女!」とかカメラに向かって言うもんだから、リアル?とフィクションとメタフィクションが、もうごっちゃになってるような、なんだかすごい映画なんです。
次の早川渉さんの『MM’』は、映像を撮ってる人がくるくる変わることで、「この映像は誰の視点?」という揺らぎが自分の中にあり、これって、自分が映像に接する時、カメラをのぞいている撮影者は基本的に同一人物という前提で見ているんだなーという発見が。
山田勇男さんの『わが解体』では子供の頃に不思議な感覚で見ていた自分の影を思い出し、中島洋さんの『HANDS WINDOW』では目じゃなくて触覚で見る世界を思い、中島ひろみさんとの共作『ベルリン サッポロ』では崩壊した後の壁越しの風景が新鮮だったのでした。
麻生栄一さんの『箱』は87年作。以前、シアターキノのサイトに掲載させてもらってた「Figures of Sapporo Art and Culture」でインタビューした時、北大の中央ローンで裸になってお互い(洋さんと麻生さん)を撮り合ったという70年代の作品『YOURSELF』の話などを聞いていたので、『箱』の美しさに至る興味関心の変遷も知りたいなーと思いつつ。
「Figures of Sapporo Art and Culture」は、ちょっとしたハプニングでサイトからは消えちゃったのですけど、資料的にあるとやっぱり便利なので、WGのブログの方にもう一度アップし直そうかなー。15人分。
それにしても、映像作品はこうやって30年前の作品を実際に見て振り返れるのが、やっぱりいいですよねえ。舞台作品は、そおいうことができないもんなあ。
なんてことも、帰り道にしみじみ。
3/2、3/3はいろんなジャンルのイベントが集中していて、諦めたものもいくつかありますが、この週末じゃなかったら「映像ネットワークVIEWの時代」も2日間通して見たかったなー。
(編)

 

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