年末からずっと読んでいた、梁鴻『中国はここにある 貧しき人々のむれ』
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読了。
11月に初めての中国(上海)を体験し、そのシステムや景観を成り立たせている人々の考え方とか慣習に興味を持ち、都市だけじゃなく農村のことも知りたいなと思ったのが本書を手に取ったきっかけであります。
以下、みすず書房のサイトにある紹介文
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近代化の矛盾に苦しむ農村に、現代中国の姿を浮かび上がらせ、大きな感情のうねりを呼んだノンフィクション。人民文学賞ほか受賞多数。
都市の繁栄の陰で荒廃する農村。農業だけでは暮らせない人々が出稼ぎにゆき、ほとんど帰らない。老人は残された孫の世話で疲弊し学校教育も衰退した。子供は勉強に将来の展望をみない。わずかな現金収入を求めて出稼ぎに出る日を心待ちにする。
著者は故郷の農村に帰り、胸がしめ付けられるような衰退ぶりを綴った。孤絶した留守児童が老婆を殺害強姦。夢はこの世で最も悪いものと自嘲する幼馴染。夫の長期出稼ぎ中に精神を病む妻。「農村が民族の厄介者となり…病理の代名詞となったのはいつからだろう」。希望はないのか。著者は農村社会の伝統にその芽をみる。
底辺の声なき人々の声を書きとめようとする知識人のジレンマに、著者も直面する。しかし敢えて自分に最も近い対象を選び、書くことの困難にうろたえる自身の姿を読者に隠さない。こうして紡がれた語りに、農民も都会人も没頭した。第11回華語文学伝媒大賞「年度散文家」賞、2010年度人民文学賞、2010年度新京報文学類好書、第7回文津図書賞、2013年度中国好書受賞。
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これまで中国のことを目にする機会といえば、とんでも系なネタか、現代史の断片のみだったので、例えば「出稼ぎ」一つ取っても、
「夫婦が別居すること、父母と子供が離れること、それは家庭のごく当たり前の生存状況である。たとえ夫婦二人が同じ都市で働いたとしても、一緒に住めるのはごく少数である。」
そうやって、出稼ぎで得た収入で村に家を建てることが、自分の価値を決める象徴になっている(でも、その家には年に一度くらいしか戻ってこれない)
とか、
もっと若い世代の農村青年にとっては、村とのつながりも希薄なため早々に都市に出稼ぎに出るけれど、都市戸籍はなく社会保障も全くない、ということとか。(※中国政府は2020年までに農村戸籍を廃止し、1つの住民戸籍に統一するとの目標を打ち出しているそうな。)
開発に関連して、例えば砂堀業者によって川にできた砂の穴が無数の大きな渦を生み出し、毎年川で溺死者を出しているとか。(川での水浴びはとても危険なので村人は誰も川に入らないけれど、見た目は静かな流れの川のため、遊びに入って渦に引き込まれる子供達が後を絶たない)
「お金を稼ぐ」ということが唯一の価値判断になった社会に起こる、自然破壊や「家族」という形態の崩壊、人命の軽視、教育の衰退などの問題に暗くなるけれど、でも、お金を稼がないと最低限の生活も保障されない環境に生きる人たちに、「自然破壊」とか「教育の衰退」とか、一体誰が責めることができるのか。
あと一人っ子政策の頃の中絶のこととか、もともと土葬が習慣としてあった農村に火葬政策が導入された頃の墓の掘り返しとか、びっくりな出来事も多々ありつつ、
最後まで読んで、梁鴻氏のガイドのもと制作された村の紹介動画を見て、「大地と樹木と河川の幼年時代」に思いを馳せ、
もっと中国の人が書いた、農村についての本を読んでみたいと思ったのでした。
中国はものすごく広大だけど、この本に書かれていることもものすごく広大で、自分の考えや感じたことが全然まとまらないっす。
でも、一つ、
「埃で厚く覆われた農村の生活には真実と矛盾が内在しており…(略)それは暗号のように、この村に生まれ、この村の道路、溜め池、田畑を熟知し、何年も村はずれの敷石の上を歩き、数え切れないほどの足跡を残した人間だけが理解できる。」
という記述があって
その感覚に似たようなことを、最近「文章を書く」ってことに当てはめて考えていたので、「外の人間」になってしまった筆者には「どうしても入っていけない深いところ」があること、そして、そこへの誠実な態度も印象的でした。
(編)

 

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